
以前このコラムでも紹介した、岡山の猟師仲間が放し飼いで育てている名古屋コーチンたまごが、つい先日送られてきた。
お手紙によると、初夏を迎える頃から名古屋コーチンたちは、クローバーなどの緑餌をたくさん食べているから、そのたまごはさっぱりとした風味になっているのだという。
名古屋コーチンたまご 夏ヴァージョン
早速 いただいてみると、おっしゃる通り、甘みはそのままに、「夏たまご」とでも呼びたい、さっぱり軽やかな風味がとても美味であった。
この夏たまごを使って今回はプリンを作ってみようと思い立った。普段あまりスイーツを食べないので、プリンを作るなど何年ぶりのことだろう。
というわけで、出来上がったプリンは、夏たまごの特徴がよく出た、あっさりした甘みと軽やかな食感だった。名古屋コーチンたまごのプリンとは贅沢なことよ、と思いつつ、あまりに美味しいので、一気に2つ食べてしまった。
イギリスの船乗りさんに感謝
もはや身近なお菓子となったプリンだが、その歴史は古い。『お菓子の由来物語』(猫井登/幻冬舎ルネッサンス)によると、プリンのルーツは諸説あるが、1588年、英西戦争においてイギリスがスペインの無敵艦隊を破り、海の覇者になった頃に遡るという。
当時、航海中の最大の問題は食糧で、船上では肉の小片やパン屑でさえも有効活用しなければならず、さらに問題は料理法。ある時、余った食材を全て合わせて卵液と一緒に蒸し焼きにしたら、ごちゃ混ぜの茶碗蒸しのようなものが出来上がった。これが「プディング」の始まりであるという。本来プディングとは、パンや肉、果物など様々な材料を混ぜて蒸し焼きにした料理であり、イギリスの船乗りの生活の知恵から生まれたもの。
日本への伝来は江戸時代後期から明治初期
後にこれが陸の上でも作られるようになるが、次第にパンのみ、米のみを入れたものが作られるようになり、やがて、具を入れない卵液だけを固めたものが作られるようになる。これが我々日本人に馴染み深いカスタードプディングになっていくのである。
同著によると、プリンが日本に伝わったのは、江戸時代後期~明治初期だとか。文献上に初めて登場するのは、1872年(明治5)刊行の『西洋料理通』だという。
「プディング」はやがて、「プリン」と呼ばれるようになり、一般家庭に普及するのは、1964年、ハウス食品の「プリンミクス」が発売されて以降とされている。
懐かしのプリンは甘い茶碗蒸しのごとく
以来、日本で爆発的に普及したプリン、皆さんもプリンと歩んだそれぞれの思い出があろう。私の場合は、小中高生の頃、実家の冷蔵庫にはほぼ毎日、グリコのプッチンプリンが並び、日曜日ともなればモロゾフのプリンに取って代わっていた。
自分が初めてプリンを食べたシーンは、今でも鮮明に覚えている。そこは実家の台所で、4~5歳の私がいる。母が、たまごと牛乳と砂糖を合わせて器に入れた卵液を二段重ねの蒸し器で作ってくれた。蒸し上がったプリンは熱々で湯気が出ている。この後 氷水を張ったバットに並べて粗熱を取り、冷蔵庫で冷やすという工程があるのだが、おチビの私はとても待てずに、「ぬくぅてもええから(熱くてもいいから)、すぐ食べるぅ~」とゴネて、熱々のプリンをフ~フ~しながら満面の笑みで食べていた。これではまるで甘い茶碗蒸しではないか。今思い出すと笑ってしまう、懐かしく、一番美味しかったプリンである。
歳時記×食文化研究所
代表 北野智子