先日のお彼岸に、両親のお墓参りをしてきた。墓石周りの草むしりや墓石洗い、仏花とお水を供えてお線香をあげるという一連の流れの短い時間だが、ちゃんとぼた餅もお供えした。
ぼた餅とおはぎは同じもの
お彼岸のお供えものというイメージが強いぼた餅だが、その昔は、お彼岸以外にも祝い事などのある特別な日に作られるご馳走であった。その証拠に、誰もが知っている江戸時代のことわざ、「棚からぼた餅」といわれるように、美味しい食べものの代表格だったとか。
ぼた餅の名前の由来は、春のお彼岸の際は、牡丹の花に見立てて「ぼた餅」、秋のお彼岸では、萩の花に例えて「おはぎ(はぎの餅とも)」と呼ぶといわれるが、餅米が多いと「ぼた餅」、うるち米が多いなら「おはぎ」のほか、小豆あんをつけたものを「ぼた餅」、黄な粉をまぶしたら「おはぎ」など様々な説がある。しかし本来、この二つは同じもので、現在では一般的には「おはぎ」と呼ばれる方が多いようである。
ぼた餅とあんころ餅も同じといえば同じもの
ぼた餅のように、餅の外側にあんを付けたものを「あん餅」といい、大福などの餅であんを包んだものを「餅菓子」というらしい。
私の母は、「あん餅」スタイルの和菓子を総て「あんころ餅」と呼んでいたので、幼い頃から私もそう呼んできた。では、「あんころ」の「ころ」とは何かというと、餅にあんをつける際、あんの中で転がすことからという。あるいは、あんの衣をまとった餅=「あん衣餅(あんころももち)」が、「あんころ餅」に転訛(てんか)したともいわれている。
ぼた餅と遊郭と神社の意外な関係
さて、このぼた餅には興味をそそられる話がある。海や街道などを伝わって、昆布や醤油、鯖など、食べものが辿って来た道について書かれた愛読書『食味往来』(河野友美著/中公文庫)には、ぼた餅についても記されている。著者は、「ぼた餅は遊郭のあるところ、あるいはもとそれのあったところにある」という。
昔の人々が神社仏閣へお参りした後、「精進落とし」と称して繰り込んだ遊郭の近くに、ぼた餅は存在するというのだ。
当然 遊郭へはお金持ちでないと行けないが、昔の時代、そうそうお金持ちは多くはなかった。ところが、出入りできる人もあり、それが船乗りだというのだ。遊郭の多くは港のあるところであった。江戸時代の船乗りの多くが乗っていた船といえば、木造船の千石船。いつ遭難するかもわからない命懸けの仕事であるだけに、寄港した港では、かなりのお金がもらえたようである。これを持って遊郭へ繰り出したものと考えられる。
例えば、京都丹後半島の天橋立近くの宮津(「津」は港のこと)。ここは昔 大変栄えた町で、遊郭があった。天橋立の付け根にある文殊堂は、智恵の神さまを祀っている。ここでは古くから「智恵の餅」というぼた餅を売っている。なるほど、私も天橋立へ行った際は必ず買う美味しいぼた餅だ。
また、千石船の集積地であった商都・大坂で降ろされた品々は小船に積み替えられ、京へと淀川をさかのぼって行った。ゆえに淀川にはいくつかの宿場があり、その一つ、橋本には遊郭があったという。ここにもやはり、「くらわんかもち」というぼた餅が残っているという。船乗り相手に、川舟に日用品を載せて、「くらわんか、くらわんか」と言って売っていたことから、この名前が付いた。この橋本の近くには由緒ある石清水八幡宮がある。そして極め付きが、古くから日本のお参りの総本山ともいうべき、お伊勢参り。伊勢に近い古市(ふるいち)には、最盛期は一千軒もの遊郭があったとか。三重県には津という港もある。そしてもちろん伊勢には、かの有名なぼた餅「赤福」がある。
ぼた餅用の御朱印帳を
なんと面白いではないか!これからは寺社参りの御朱印帳とは別に、「ぼた餅御朱印帳」を作って、2冊持って行く楽しみが増えた。もちろんぼた餅の御朱印などは無いので、ぼた餅そのものや店の外観などの写真を撮ってプリントアウトし、貼り付けるのだ。ぼた餅や店の由来が書かれた商品しおりなどあれば、なお嬉しい。早速、ぼた餅用の御朱印帳を手に入れなければならぬ。
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