【歴メシを愉しむ(1)】
お彼岸のぼた餅考

カテゴリー:食情報 投稿日:2019.03.19

3月も早や半ばを過ぎて、陽の光は春めいてはいるものの、まだ肌には寒い。けれど「お水取り」も終わったから、そろそろ本格的な春の到来なのだろう。昔から我々大阪人(および関西人)は、「お水取りが終わるまでは春は来ない」と普通に信じている。

「お水取り」とは、正式には「修二会(しゅにえ)」といい、奈良の東大寺二月堂で行われる春迎えの神事のこと。天平勝宝4年(752)に始まり、現在まで1200年以上も途切れることなく続けられている(開催期間:3月1日~14日)。日々の挨拶でも、「まだまだ寒いですね。お水取りが終わるまでの辛抱ですねえ」とか、「今日は寒いし荒れたお天気で…お水取りが終わるまでは、やっぱりね」などと、互いに言い合うのだ。

しかし、関西の外の人がこの会話を聞くと、何が「やっぱり」なのか、さっぱりわからないらしい。「お水取りが終わると春が来る」と信じていることに、驚かれることが多い。お水取りと春の関係は、関西だけで通じる話だったのだ。

 

ぼた餅とおはぎの違い

さて、すでに春のお彼岸の時節である。今年の彼岸の入りは3月18日、中日(春分の日)は21日、明けは24日。この春彼岸の行事食といえば、お墓や仏壇にお供えする「ぼた餅」。あんこの小豆は、邪気を祓うといわれてきたからだろう。江戸時代後期には、お彼岸に親戚や近隣へ、お手製のぼた餅を贈り合う習わしがあったそうで、素敵な風習だなと思う。

このお彼岸のお供えについて語る時に必ず出るのが、「ぼた餅」と「おはぎ」の違いについてだ。春のお彼岸には「ぼた餅」、秋のお彼岸には「おはぎ」と呼び分けることが多く、それは、春に咲く牡丹の花に見立てて「ぼた餅」、秋には萩の花に見立てているから「おはぎ」という説による。本来この二つは同じもので、「母多餅一名萩の花」と『本朝食鑑』(1697年)にもある。

この「萩の花」こと「萩の餅」が「おはぎ」と呼ばれるのは、宮中の女房詞で、「萩の餅」の「の餅」を取ってしまい、「萩」の頭に丁寧語の「お」をつけて、「おはぎ」になったとか。これは「まんじゅう」が「おまん」、「せんべい」が「おせん」になるのと同じ類である。

そういえば、お茶と和菓子好きで生粋の京都人の亡き祖母が、いつも「おぶとおまんあるえ」(=お茶とおまんじゅうがあるよ)と言って、おやつを出してくれていたのを思い出す。

 

ぼた餅の起源

『嬉遊笑覧』(1830年)に、ぼた餅は、「いにしへかいもちといへり」とあり、古くは「かいもち」と呼ばれていたようで、鎌倉時代の書物『徒然草』(1330~1331年頃)や『宇治拾遺物語』(1213~1219年頃)にも「かいもち」と出てくる。「ぼた餅」がいつ出現したのかは定かではないが、鎌倉時代には、すでにあったようである。

 

異名もたくさんある

ぼた餅やおはぎは、言葉遊びを兼ねた様々な異名を持っている。もち米とうるち米を擂鉢などで半搗き(粗つぶし)にすることから「半殺し」という怖い名前のほか、「隣知らず」(搗く音が聞こえない)、「夜舟」(着くところを知らない)、「北窓」(北の窓には月が入らない)、「奉加帳」(付くところも付かぬところもある)などなど。いずれも「ツク」を、「搗く」「着く」「月」「付く」に掛けているところが面白い。

さて 私自身は、幼い頃からどう呼んできたのかといえば、「ぼた餅」であり、これからも「ぼた餅」派である。ぽってり・ぽたぽたとした姿・形が、その呼び名にふさわしいと思うし、なんとなく、「おはぎ」より「ぼた餅」の方が大阪人気質に合う名前だと感じるからだ。

みなさんは「ぼた餅」か「おはぎ」か、どちらの名で呼んでおられるのだろうか?

 

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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編集部
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