今年は秋が来ないのではないか? というぐらい、厳しい残暑である。いや、残暑というよりも、夏真っ盛りのような酷暑が続く毎日で、苦しくてフラフラしている。
日々の食事には身体を冷やしてくれる夏野菜をあれこれ食べているが、中でも、今までの人生で、こんなに大量のきゅうりを食べたことが無いというぐらい食べている。
風船みたいなきゅうり
毎朝、有害鳥獣捕獲の猪罠を掛けている田畑や農園の人々や、野菜を栽培している友人猟師から、折々にゴーヤにおくら、みょうが、茄子、プチトマトなどをいただくのだが、毎度大量にもらうのがきゅうりである。
その方々が言うには、きゅうりは、朝と夕方ではそのサイズが倍ほども違うほど、育つのが早いそうな。朝起きた時に見たきゅうりは、一般に販売されているいわゆる普通サイズだが、その日の午後や夕方には、縦横にぶわっ~と膨らみ、大きくなっているので、油断も隙も無いらしい。また、大きくなると皮が硬くなっていかん、とのことであった。
きゅうり料理の日々
確かにいただいたきゅうりの多くはサイズが大きく、中には小ぶりの瓜のようなものまである。しかし、みずみずしさや美味しさは同じだし、私はカリコリ、ポリポリ感が好きなので、皮の硬さも気にならず、いつもありがたくいただいている。
この大きなきゅうりのおかげで、今夏 私のきゅうりレシピは広がった。基本中の基本である塩揉みやきゅうりと何かを酢で和えるきゅうりと〇〇の酢揉み、様々なサラダ、冷やし麺類の具、冷奴や冷や汁のお供ほか、ピクルス作りには梅酒用の大きなビンに、ぬか漬け作りには大きなタッパーに、それぞれ何度も仕込んだ。さらに、ごま油で中華風の炒めものにしたり、肉類と炒め煮にしたり、食べ応えのある大きなきゅうりは、火を入れても美味しく、きゅうり漬けの日々を送っている。
「いたちきゅうり」って何?
夏はまだまだ終わりそうにないが、夏野菜はそろそろ終いの時季を迎えている。
なるほど8月の半ばから、きゅうりを渡す際に農園の方は、「そろそろ終わりやね」とか、「これで最後やね」と言われていた。実際はその後も何度もいただいているのだが。
そんな折、「いたちきゅうり」と呼ばれているきゅうりのことを知った。これは、育ちすぎて黄色くなったきゅうりのことで、昔の人は、その大きさや色、姿をいたちにたとえて、こう呼んだという。主には熟した実から来期にまく種を取ったりするらしい。料理屋では、出汁地で炊いて冷やした「いたちきゅうり」を、夏の名残の一品として、供するという。大きなきゅうりはしょっちゅう食べているが、いたちきゅうりはまだ見たことが無い。
「いたち」が怖いから食べてみたい
なにやら物の怪(もののけ)の気配がする「いたちきゅうり」という名前に、民俗学好きの心をくすぐられ、動物や魚介、虫に関する日本全国の昔からの俗信を収録した愛読書『日本俗信辞典 動物編』(鈴木棠三/角川ソフィア文庫)で、「鼬鼠(いたち)」を調べてみたら、やはりそこには、ゾクゾクする言い伝えが多く記されていた。
「イタチの道切り」とあり、「道を行く時、イタチが前途を横切ると凶兆」とする地方や、「イタチはケチケチと鳴くからケチがつく」「イタチだから行ったら血を見る」など、イタチという語が縁起の悪い忌み言葉になっている地方も多い。さらにイタチは化けて災いをもたらす、火柱をたてるなどというものもあり、最も怖いと思ったのは、イタチに読まれる(数えられる)と、その人は死んだり、化かされたりするという。
しかし、怖い俗信だからこそ、人は何故か惹きつけられるものだ。まずは「いたちきゅうり」とやらをぜひ食べてみたい。そうなると、まだ夏が終わってほしくないと思うのだから、食い意地とはすごいもんだ。
歳時記×食文化研究所
代表 北野智子