昨年末、友となって30年近いイタリア人の親友が来日した。彼女と私は年に一度、一緒に旅をすることが嬉しい決まりになっている。けれども私の母の介護のため、この4年は会えていなかった。一周忌が過ぎる来春こそはと思っていた私に、「待ち切れない!」と言って、母の墓参りと私を元気づけるため、彼女の方からやって来てくれた。
小学校の林間学校以来の高野山へ
何事も急に決まってバタバタするのが私と彼女の常だが、来日することが決まったのは日本到着の日からひと月を切っていた。11月後半から約1ヵ月の滞在となるので、その間のプランを立てるのもドタバタであった。加えて猟師である私、11月15日から猟期が始まるし、毎朝の罠見回りもあり、繁忙なシーズンである。
というわけで、彼女が来日する際はいつも東北や九州など遠方へ旅に出るのだが、今回は畿内の歴史・文化・自然などの見どころを主に日帰りで訪ねることに。しかし何かテーマが欲しいと、我々が掲げたのが、「巡礼」である。
箕面の滝(大阪府)を皮切りに、宇治平等院、比叡山延暦寺、伏見稲荷神社、幕末に思いを馳せつつ酒蔵にも寄れる伏見の町から石清水八幡宮、京都大原三千院などなど、紅葉にまみれながら巡礼をしまくったのであった。
中でもメインともいうべきが、空海が開いた真言密教の精神性に魅かれた親友のたっての希望であった高野山。ここでは宿坊に一泊し、翌日は奈良吉野で一泊というプチ旅行であった。
高野山といえば、小学校の4年か5年の時に林間学校で行って以来ご無沙汰している地。まさかイタリア人の親友と、高野山馴れしている旅人のようにしれっと宿坊に泊まるとは…。感無量であった。
かつての林間学校で、たった一つ記憶しているのは、弘法大師のことでも、奥の院のことでもなく、宿泊先のお寺で出た高野山名物「ごま豆腐」が苦手で一切食べられなかったこと。食い意地が張っている私にしては、嫌いな食べもののことのみ覚えているというのは珍しい。が、精進料理の聖地ともいうべき高野山、10歳の私には、ほかの食べものも合わなかったのであろう。
本物の「ごま豆腐」に開眼
さて、ごま豆腐嫌いの小学生は大人となり、今回の高野山巡礼では、静寂の奥の院を歩き、弘法大師の御廟に参拝をし、天空の地ならではの森閑とした空気に触れて、心が癒される思いがした。
宿坊に戻ると、いよいよ夕食の時間。そこに山葵醤油を添えたごま豆腐が出た。またさらに翌朝には、酢味噌を添えたごま豆腐が配膳された。
これまでに何度も市販のごま豆腐を食して、一応好きな食べものにはなっていたが、今回宿坊で食べたごま豆腐の味は別格であった。
ひと口含むとむわ~んと立ち上るごまの芳香、ねっとりむっちりした食感、のみ込んだ後にも鼻腔へ抜ける再度のごまの香…いつまでも口中にあってほしい風味であった。
ごま豆腐は、空海が約1200年前に開いた高野山で、厳しい修行の中で食べる精進料理の一つとして生まれたといわれている。肉や魚を用いない精進料理は、たんぱく質が不足しがちになるので、良質なたんぱく質を含むごまを食べて栄養を補っていた。後に、ごまの栄養を効率よく摂取するために考案されたのがごま豆腐である。
思うに、ごま豆腐なるもの、作り手が違うのは当然であるが、食する場所によっても味わいそのものが変化するようだ。
家のテーブルで食べるごま豆腐に比べて、静寂に包まれた、寒さ厳しい高野山の宿坊の書院で、修行僧によって運ばれてくる膳にのったお手製のごま豆腐は、ほのかな光を放っている。そんなごま豆腐は、家とは違って決して5口ほどで食べずに、上品に少しずつ、口へ運ぶ。それは気取りではなく、いつまでもこのごま豆腐と向き合うひと時が続いてほしいという思いがそうさせる。
かたき討ちを果たして帰途につく
高野山を下山する際、土産店でずっしりとしたごま豆腐を3箱(計6個)買った。これから吉野へ向かうので、かなり重いし、吉野でもごま豆腐は売っている。
いやしかし、私にとっては高野山のごま豆腐だから意味がある。遠いあの日、林間学校の夜に残してしまったごま豆腐のかたき討ちを果たしたような気分で、高野山を後にしたのである。
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