
新しい年が明けて半月以上が経過した。この時節の七十二候は「雉始雊(きじはじめてなく/1月15日~19日)」で、きじが鳴き始めるとされる頃。
昔、宮中では新年の祝いに、きじの羽の付け根にある節の肉と塩を混ぜてつくった「羽節(はぶし)酒」を用いていたという。
いにしえから好まれた淡泊な味
古くからきじは最も珍重された食鳥で、我ら猟師にとって、一度は仕留めてみたい狩猟鳥の一つである(雌は禁猟)。一般に食用として流通しているのは飼育されたものが多い。
日本の国鳥であるきじはその姿の美しさから、万葉集にも多く詠まれており、平城京の市できじが売られていたというから、万葉人はきじ肉を市で買い、食していたのだ。四条流包丁書には、「鳥といえば雉のこと也」と記され、室町時代から江戸時代初期にかけてきじ肉料理は最高のご馳走として珍しがられたが、庶民には高嶺の花だったようだ。
きじ肉は脂肪が少なく淡泊な味わいで、独特の香りがあり、きじ鍋をはじめ、すき焼き、網焼き、きじめし、きじそばなどでいただくと美味である。
どこか面白いきじにまつわることわざ
きじのことわざで有名なものが、「雉も鳴かずば撃たれまい」。余計なことを言わなければ災いを招かないで済むことのたとえで、おしゃべりな私なぞにとっては耳が痛いことわざである。
「けんもほろろ」は、きじの鳴き声に由来することわざで、人の頼み事や相談事を無愛想に拒絶したり、取りつくしまもないさまを表す。「けん」も「ほろろ」も共にきじの鳴き声で、つっけんどんに聞こえるからとか。
「きじの草隠れ」は、きじが草の中に頭だけ隠して尾を出したままでいるところから、一部分だけ隠して隠れたつもりでいること=「頭隠して尻隠さず」のことである。
旅先できじに救われる
私には、思い出すだけで笑いと冷や汗が込み上げてくる、旅先のきじ料理の思い出がある。もうずいぶん前、山あいのとある温泉宿に友人と泊まった時のことだ。
その宿は広い庭に大きな池がそこここにあり、都会の喧騒を忘れさせてくれる情緒豊かな別世界であった。ゆったりと岩風呂に浸かった後、お楽しみの夕食の時を迎え、ワクワクしている私の前に並べられた料理に絶句した。豪華な大皿に美しく、たっぷりと盛り付けられた鯉の洗い(鯉を厚めの薄造りにし、湯洗いの後、氷水で締めたもの)に、煮こごり、旨煮など鯉だらけ!実は喜びで「絶句した」のではない。その頃の私は、鯉が大の苦手であった。(現在もそんなに得意ではない…)
そういえば、宿に着いた嬉しさで興奮して気に留めていなかったが、部屋へ案内された時に歩いた庭の池には、立派な鯉が優雅に泳いでいたのを思い出した。ああ、そうだ、この旅の手配は友人に任せっきりで、鯉が有名な宿とは全く知らなかったのだ。が、すべては後の祭り。運んでくれた中居さんには、「美味しそうな鯉ですね」と、ひきつり笑いで誤魔化しはしたが、友人は食が細く、私の分の鯉を平らげることは不可能であった。
「せっかくの旅メシ、私の食べられるもの無いやん」と大人げなくふてていると、そこは山の宿、なんと、シメの鍋としてきじ鍋が出てきたのだ。ヤッター、ありがとう、きじさん!以来、この時よりも美味しいきじ鍋にお目にかかったことはない。
きじ鍋に助けられたもう一つの理由であるが、恥ずかしながら残した鯉料理は、食べ終わったきじ鍋(木のふた付きで深さのある鉄器の囲炉裏鍋だった)の中に隠したのであった。若気の至り、申し訳ありません。
歳時記×食文化研究所
代表 北野智子
文庫版サイズ(厚さ1.6×横10.5×縦14.8cm)
464頁
定価:本体2,000円+税
発行:株式会社IDP出版
ISBN978-4-905130-46-8
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