【歴メシを愉しむ(170)】暑気払い その2 「何を飲んでる?」

カテゴリー:食情報 投稿日:2025.08.26

今回は暑気払いの続きで、飲み物についてである。

このコラムでも、資料としてよく取り上げている『守貞謾稿』(1853年/嘉永6)には、江戸時代に、市中を 商品を担いで、物の名を唱えながら売り歩く人(振売り/ふりうり)が記されているが、それは食べもの関係だけで50種余がある。その中から夏の振売りを取り上げてみると、その時代の夏に市井の人々が、暑気払いとして何を飲み食いしていたのかが見えてきて興味深い。

 

甘酒は江戸時代からの栄養飲料

甘酒の歴史は古く、始まりは奈良時代以前ともいわれる。江戸時代には、市中に「甘酒売り」が出回り、甘酒は夏の暑気払いの甘露として愛飲され、夏の季語にもなった。天然のブドウ糖の甘みに、ビタミン、アミノ酸などが豊富で、夏負けによい栄養飲料として、先人たちに重宝されていた。

ところが時代が下るにつれ、甘酒は寒い時季の飲料になっていったようだ。初詣ほか冬季に神社仏閣へ参拝の際、参道にある茶店などで、冷えた身体を温めるために、下ろし生姜を添えた熱々の甘酒をフゥフゥしながら飲むようになったのだ。

ここ十数年で、甘酒は冬場だけではなく、暑気払いにもよいという認識が広まり、様々な商品も登場し、手軽に飲めるようになったことはありがたい。

よ~く冷やした甘酒は、喉に心地よく、さらりとした上品な甘みが、心まで潤してくれるような極上の味わいだ。

 

夏の銘酒「柳陰」 暑気払いの風流酒

また江戸時代には、みりんを焼酎で割った酒「柳陰(やなぎかげ)」も夏の暑気払いとして飲まれていた。先述した『守貞謾稿』には、「京坂では、夏に夏銘酒 柳陰を冷酒にて飲むなり」とあり、古典落語「青菜」にも、暑気払いの酒として登場する。

みりんのルーツは戦国時代頃に中国からもたらされた甘い酒「蜜淋(みいりん)」とされる。その初見は、文禄2~4年(1593~95)の豊臣家の動向を記した『駒井日記』で、「蜜淋酎(みりんちゅう)」という名で登場するという。「淋」は滴る、「酎」は濃い酒、ゆえに、「蜜が滴るような甘く濃い酒」だったということがわかる。

江戸初期のみりんは珍しい高価な酒で、みりん酒一升の値段は、米や清酒の約三倍だったとか。

時代は下り、正徳2年(1712)の『和漢三才図会』には、「美淋酎(みりんちゅう)は近頃多くつくられるようになり、下戸や女性たちが喜んで飲んでいる」とあり、江戸中期には生産量も増え、多くの人に親しまれる酒になっていったようだ。

柳の木陰で飲まれたことから「柳陰」と名付けられたというが、なんという趣のある名前であろうか。風情ある名前にふさわしく、すっきりとした切れ味がある風流な酒である。

「とりあえず一杯!」と飲むビールも結構だが、キリリと冷やした甘酒や柳陰で暑気払いの一杯といくのも、風流人っぽくて、ちょっといい。

歳時記×食文化研究所

代表 北野智子

 

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編集部
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