水天宮の意味
日本人が水を大切にしてきたことは、いろいろなことから考察することができます。例えば、各地に祀られている水天宮です。水には神様が宿るものと考えられ、日本では古くから信仰の対象とされてきました。水天宮だけでなく、水を祀った神社は日本中にあり、その水神様に豊作や商売繁盛、家内安全、安産、子育てといったことを日本人は祈願してきたのです。
水が日本の文化と深く関わっていることは、言葉からもうかがい知ることができます。水がつく日本語を辞書で拾ってみると、「水いらず」「水掛け論」「水くさい」「水ごころ」「水商売」「水を差す」「水を向ける」等々。これらの表現は、外国語には直訳できません。水とともに生きてきた日本人ならではの表現といえるのです。
お粥に込められた日本人の心
そして、日本人が水食いの民族であることを象徴するのが、お粥の呼び方です。「御粥」という字は延暦二三(八〇四)年に記された伊勢神宮の『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』の中に出てきますが、もともと「粥」という字は「煮た米」のことを表します。私たちが普段食べているごはんも、字の意味からいえば「固粥」であって、「飯」というのは蒸した米を指す言葉なのです。
このお粥が、水加減によって、じつに様々な名前で呼ばれてきました。米と水を重量比一対五で炊いたものを「全粥」、一対七なら「七分粥」。一対一五なら「三分粥」。一対一〇で炊いて、汁だけこし取ったものは「重湯」。全粥一に対して重湯九の割合で混ぜたものが「御交(おまじり)」。水と米だけの単純な料理でも、病人食や老人食や離乳食といった目的に応じて、作り方も呼び方も変わるのです。お粥に込められた日本人の繊細な心を感じませんか ?
江戸時代前期の儒学者・貝原益軒は、『養生訓』の中にこう記しています。
「水は清く甘きを好むべし。清からざると味あしきとは用ゆるべからず。郷土の水の味によつて、人の性(うまれつき)かはる理なれば、水は尤ゑらぶべし」
人間は、生まれ育った水によって性格まで変わってしまうのだから、いい水を選ばなくてはいけない——という教えです。清らかな水が、清らかな心をつくるということを、日本人は昔から知っていたのです。
小泉武夫
※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。
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