生きることは「参加する」こと【小泉武夫・食べるということ(28)】

カテゴリー:食情報 投稿日:2017.12.02

何のための長生きか

 世界一の平均寿命を獲得した日本人ですが、これが喜んでばかりもいられない状況であります。戦後に始まる食生活の激変によって、日本人の長寿には赤信号が点りつつあります。

 人間の平均寿命に関する考察は、年齢という数値だけで論じてはならないと、常々私は思っています。なぜなら、寿命の長さが幸せに比例するのかといえば、必ずしもそうだとは思われないからです。

 たとえば、南太平洋のポリネシアの島々を訪れると、現地の人たちの暮しはとても豊かに感じます。美しい海に囲まれ、朝日とともに目を覚まし、質素だけれどもとれたての魚や果実を毎日食べ、民族に伝わる歌やダンスを今でも大切に守って生きている。そういう環境の中にポンと足を踏み入れてみると、時間に追いまくられながら毎日あくせく働いている日本人の生活が、本当にゆとりのないものに思えてしまうものです。

 ポリネシアの国の一つであるサモアの平均寿命は、約70歳です。日本人より13年も短いのですが、だからといってサモアの人たちが日本人よりも不幸な生活をしているといえるでしょうか。もちろん単純に比較はできませんが、寿命の長さだけが幸せの尺度ではないと私は思うのです。

 誰だって、早死にはしたくありません。人間が長く生きたいと望むのは当然のことです。では、なぜ長生きしたのか。それは、生きていれば、見たいものが見られたり、聞きたいことを聞けたり、言いたいことが言えたりするからです。つまり、何らかの場面に”参加”できるからこそ、人間は長生きがしたいし、長生きすることに意味があるのです。

 

心と体のバランス

 そう考えると、いろいろなことに参加できる状態でいることが、長生きには欠かせない条件であるといえます。貝原益軒は『養生訓』中で、こう述べています。

 「心は身の主也。しづかにして安からしむべし。身は心の奴なり。うごかして労せしむべし。心やすくしづかなれば、天君ゆたかに、くるしみなくて楽しむ。身うごきて労すれば飲食滞らず、血気めぐりて病なし」

 心は体の主人であるから、静かに安らかにさせておかなければならない。体は心の下僕であるから、動かして働かせなければならない。心が落ち着いていれば、人間は豊かで、苦しむこともなく楽しいものだ。体がしっかりしていれば、食も進むし、元気も出て病気になることもない−−−−といった意味の教えです。

 豊かな人生というのは、心と体のバランスが良好な状態に保たれていてこそ、はじめて謳歌できるものです。病気一つしないような丈夫な体を持っていたとしても、心が乱れていたり、不摂生な生活を送っていたりしたら、実りの多い生き方はできません。また、いくら心が穏やかで、節制した生活を心掛けていたとしても、体が病弱では毎日を存分に楽しむことは難しいでしょう。

 人間の心と体は、どちらか一方が優れていればいいというものではありません。心と体は、自分らしい人生を歩むための両輪なのです。バランスが取れていればこそ、人生は目指す方向への真っ直ぐに進むことができるもの。どちらか一方がへこたれていては、ドンドン道から逸れてしまいます。

 よく、コンピュータなどの分野では、ソフトとハードという言い方をします。どんなに優秀なソフトでも、作業をするハードがポンコツでは、猫に小判も同然です。どんなに高性能なハードでも、それを操るソフトがボンクラでは、張子の虎も同様です。コンピュータと人間を一緒にはできませんが、人間の心と体は、ソフトとハードに似た関係です。どちらか一方が優れていればいいというわけではないのです。

 健全な心と健康な肉体とが相まってこそ、はじめて人生は「豊かである」といえるのではないでしょうか。そう考えると、世界一になった日本人の平均寿命を、どこまで素直に喜んでいいものか……。

小泉武夫

 

※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。

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この記事を書いた人

編集部
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