
毎年11月になると、気になる歳時記とその行事菓子がある。それは七五三と千歳飴(ちとせあめ)。
私は子どもがいないので、七五三の思い出といえば、自身の幼い時のことだ。父が撮ってくれた七五三のお宮参りの写真を見返すと、そこには、晴れ着を纏(まと)い、オカッパ頭に髪飾りを挿してもらったオシャマなおチビが、千歳飴の袋を握りしめ、ニッタァ~と笑っている。
子どもの成長祝いの伝統が七五三に
11月15日の七五三は、三歳の男の子・女の子、五歳の男の子、七歳の女の子に晴れ着を着せて、お宮参りをして、子どもの幸せと健康を願う行事である。
子どもの成長祝いの伝統は古く、中世に貴族や武家で行われた、三歳で髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)」、男の子が五歳で袴をつける「袴着(はかまぎ)」、女の子が七歳で帯の代わりに使っていた付け紐をやめて帯を結ぶ「帯解き(おびとき)」などの儀式に遡(さかのぼ)るという。年齢が定まり、11月15日の氏神様へのお参りが習わしとなるのは、江戸時代後期になってからとか。
長寿の願いがこもった千歳飴
毎年11月上旬の土日や祝日に神社を訪れると、境内は女の子や男の子で華やいでおり微笑ましい。千歳飴は千年飴、宮参り飴とも呼ばれ、七五三参りのおみやげとして配る習慣がある。
水飴と砂糖を煮詰めて、何回も引いては延ばし、気泡を入れて棒状に作る細長い飴で、縁起の良い絵が描かれた袋に、紅白の二本が入っている。
江戸時代、元和年間(1615~23)に、大坂の平野甚右衛門が、江戸の浅草寺境内で売り始めたのが始まりという説や、元禄年間(1688~1703)に、江戸のあめ売り七兵衛が、千年あめ・寿命糖と称して売ったという説がある。
現在ほど医療が進んでおらず、天然痘や風疹が周期的に猛威をふるった時代、命を落とす幼児は多かったため、「千歳」が長寿に通じることから、後年、子どもの宮参りや七五三の祝いに作られるようになったという。
懐かしの千歳飴を食べたい
恥ずかしながら告白すると、私はこの時節になると、普段の散歩道を神社ルートへと変更し、境内で記念撮影をする子どもたちが手に持つ千歳飴を横目で睨みに、いや、眺めに行くのだ。というのも、先述したように私は子どもがいないので、大人になってもしばらくは知らなかったのだが、一般的に神社の千歳飴は非売品で、ご祈祷をしてもらった子どもたちに配られるものだったのだ。
いやいや、私も大人、いい歳をして是が非でも千歳飴を舐めたいというワケではない。ただ、あの幼い日、七五三参りに行った神社で、人生で最後の着物姿(あくまで現時点において)で、父と母と一緒に、あんなに嬉しそうに笑っている自分に会いたいというようなノスタルジアなのだろう。
仕方ないので神社の千歳飴は諦めて、こちらも幼い日に、七五三の頃 母とお出掛けした大阪・ミナミの、今は無き不二家レストランで買ってもらって大好物となった不二家のミルキー千歳飴を舐めるとしよう。
歳時記×食文化研究所
代表 北野智子
