食欲も細りがちな酷暑の日々、心身が清涼な香りと味わいを求めている。それに応えて、このひと月近くほぼ毎日、大量のシソ(大葉/青ジソ)を食べている。お造りに添えるのはもちろん、千切りにして冷奴や冷やしうどん、そうめんの薬味に、納豆と混ぜてごはんのお供に、イワシや鶏肉などを巻いて揚げ焼きに、バジリコの代わりにタラコや明太子とスパゲッティに散らしたり、炊きたてご飯に塩もみしたシソを混ぜ合せたシソ飯にと、食べても食べても飽きないし、食欲も増進し、夏バテ予防にもよろしい。
猪獲らずにシソ摘む猟師
シソの歴史は古く、縄文時代の遺跡から種子が発見され、平安時代以前から栽培されていたといわれている。本来は赤ジソのことをシソといい、青ジソはその変種とか。特有の爽やかな香気は ベリルアルデヒドという成分によるもので、強い防腐作用があり、お造りのツマに使われるのはこのためである。
さて、日々シソ攻め料理を楽しめるのは、猟師であるがゆえだ。はて、猪の罠猟師とシソがなぜ関係しているかというと、私が担当している広大な農園には、目いっぱい太陽を浴びたシソが ワッサワッサと育っているからだ。
夏の初め、袋いっぱいの摘みたてのシソをいただいて小躍りする私を見た農園の方からは、「いつでも摘んで持って帰って」と言われている。
ありがたいお言葉に甘えて、袋片手にプチンプチン…たっぷりのシソを摘む。炎天下、立っているだけでもダラダラと汗が流れ、今にも倒れそうな暑さの中、不思議とシソ摘みだけはルンルンなのだ。近頃では、シソ摘みが楽しみでサッサと罠見回りを済ませている自分がいる。
寿司屋のシソ巻がまぶしい
どんな料理にしても美味なシソであるが、シソ巻きだけは別である。私はシソ巻きは寿司屋では注文しない。家で手巻き寿司を作る時は、大量のシソを用意し、鯛やまぐろ、イカ、タコほか各種のネタと一緒に巻いて食べている。寿司においてのシソは、決して主役ではなく、あくまでも脇役であり、シソ主体の細巻き・手巻きを食べることに抵抗がある。その理由は単純で、損をしたような気分になるからである。ゆえに寿司屋で注文することはない。
寿司屋のカウンターでよそのお客さんから、「シソ巻きください」という注文が聞こえると、思わずそっと声の主を盗み見してしまう。それは、寿司屋でシソ巻きを注文する人に対して、何というか、一種の憧れのようなものがあるからである。さまざまな寿司ネタを食べた後、口中を爽やかにするため、締めにシソ巻きをつまみ、お茶を啜る…まぶしい。大人である。
シソ巻きを食べると損するように感じる食い意地が張った私…締めにはいつも鉄火巻きか、穴きゅうか、イカきゅうかで悩み、結局全て注文してしまう欲張りな私…子どもである。
歳時記×食文化研究所
北野 智子