【歴メシを愉しむ(151)】春はのどかに花見団子

カテゴリー:食情報 投稿日:2024.04.06

極寒、積雪、氷雨、なんなら槍をも ものともせずに、明け方3時起床。―ひた走り続けた猟期が終わり(11月15日~3月15日/兵庫県)、フニャンと脱⼒感&ポッカリ抜け殻状態が続いている今⽇この頃である。

 

花見団子で我に返る

先月、猟期終了後初めての週末、ほぼ4ヵ月ぶりに出猟しない日曜日を迎え、一人ベランダに佇み、「あ~あ、これからどうやって生きて行こう…」などと、猟師特有の燃え尽き感に呆然としていたら、春の訪れを知らせるような心地よい風が頬にあたった。

気付けばもう桜の開花、お花見シーズンの到来である。普段の生活に戻るためにも、今この時節を感じようと、和菓子屋で目に入った花見団子(三色団子)を買って食べたところ、ゆったりと我に返っていくのを感じた。

 

三つの色にはさまざまな説あり

思えば、身近な季節の行事にまつわる団子で代表的なものといえば、春の花見団子、夏のみたらし団子、秋の月見団子などだろうか。花見団子は、スーパーや町中の庶民的な和菓子屋などでは年中販売されているが、最も食べたくなるのは、やはり春のお花見の時期である。それは、この団子の色合いがのどかで、春や桜を想わせてくれることが大きい。

花見団子の三つの色には、さまざまな説がある。まず、ひなまつりの菱餅と同じく、ピンクは赤ととらえて「魔除け」、白は「清浄」、緑は「邪気祓い」というもの。さらに、降り積もった雪の下に芽吹く緑、春を迎えて雪(白)が解けて、花が咲く(ピンク)というもの。また ピンクは「春」、白は「冬」、緑は「夏」を表すという説もある。なぜか「秋」を表す色はない。その理由は、「秋がない」ことから、「飽きない」と、団子屋の「商い」を掛けた言葉遊びだという説もあるようで面白い。

 

団子と餅には格差があった?

団子の語源は、唐菓子の「団喜(だんき)」からきているとか。『嬉遊笑覧』1830年(文政13)に、「団喜は俗にだんごといふものの形にて、餡を包めるなり」とあり、遣唐使が中国から伝えた8種類の唐菓子のなかに、あん入りの団喜があり、後に団子になったという。団子を竹の串に刺したのは室町期頃からのようだ。

このように長い歴史を持つ団子であるが、餅との格差があったらしいのだ。誰もが知っていることわざに、「花より団子」がある。花を見て楽しむよりも団子を食べる方がよい―これは、見た目や品位よりも実質や実利を重視することのたとえであり、また 風流を解さないことのたとえ。ほかに、「団子も餅のつきあい」は、「搗き合い」と「付き合い」をかけて、団子ほどのものが慶事に用いる餅のようなものと交際する―これは、つまらない者が、立派な人の中にまじわっているたとえで、団子はつまらないもの、餅は立派なものとされている。

さすがに団子に対してちょっと失礼なのではないか?と思うが、これには理由があるらしい。餅は「粒食(りゅうしょく)」、団子は「粉食(ふんしょく)」である。日本では粒食は古来よりのもの、粉食は後に伝来したもので(『日本書紀』の610年<推古天皇18>に、高麗僧・雲徴<どんちょう>が石臼を伝えたとあり、粉食はこの時から始まるとされている)、さらに餅は慶弔ともに用いられ、神前へも仏前へも供えるが、団子は主に仏事に用いられるという慣習のところが多い。このように餅の歴史に比べると、団子の歴史は非常に新しいので、格差があったということのようだ。

 

しかし、そんなことはどうでもいい。団子好きな人は、餅好きな人であることが多い。

花見団子の季節は、うぐいす餅、草餅、牡丹餅、桜餅など大好きな餅菓子が勢ぞろいするのが嬉しく、そしてもちろん食べ過ぎが怖い。

歳時記×食文化研究所

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編集部
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