【歴メシを愉しむ(171)】暑気払い その3 「おやつの甘味とお茶」

カテゴリー:食情報 投稿日:2025.08.30

今回は暑気払いのお三時に飲食するものについてである。

前回のコラムでも書いたが、江戸時代の三都(京・大坂・江戸)の風俗を記した『守貞謾稿』(1853年/嘉永6)には、夏のお三時ものを振売り(ふりうり)している人も登場する。

 

「冷水(ひやみず)売り」が売っていた白玉

現代では各家庭に冷蔵庫・冷凍庫があり、街中にはいたるところに自動販売機やコンビニ、スーパーがあって冷たい飲みものは簡単に入手できるが、昔の人は、暑い夏 に大汗をかいて、水分補給にちょっと冷たい水を…と思っても飲めなかった。江戸庶民にとって、冷たい水は「冷水売り」から買うものだったのだ。

時代劇好きの私、ある番組で、江戸・深川の長屋にやってきた冷水売りが客に渡したお碗の中には、冷水だけでなく、白玉団子が入っており、白玉の上には砂糖が振りかけられていたのを観て、おや?と思った。

調べてみたら、先述の『守貞謾稿』に、「夏月、清冷の和泉を汲み、白糖と寒晒粉(かんざらしこ)の団とを加へ、一碗四文に売る。求めに応じて八文・十二文にも売るは糖を多く加ふなり」とあった。

「寒晒粉の団」とは、「白玉団子」のことで、冷水を買い求めると、その中に、白砂糖と白玉団子を入れていた。もっと甘みが欲しいなら、お金を追加すれば注文に応じてくれたようだ。夏の炎天下で水分とエネルギー補給の功はあったことだろう。

売り言葉は、「ひやつこひ、ひやつこひ」と言ったようで、盛夏に冷水を渇望する町の人は、この声が聞こえてきたら、心躍ったに違いない。

一方、京坂では、「一碗おおむね六文。粉団を用いひず、白糖のみを加へ、冷水売りといはず、砂糖水屋といふ」とある。京や大坂では、白玉団子は入らず、白糖のみで、ゆえに振売りの名前も違ったのだ。

それにしても、氷も保冷剤も無い時代、売り物の冷水は、汲みたては冷たくても、売り歩いているうちになまぬるくなってしまうため、時間勝負の商いなので、大変だったことだろう。

 

暑気払いのお茶とは

暑いからといって冷たいものばかり飲食していると、これまた夏バテの一因となる。胃が適切に動いてくれる温度は体温より1~2度高い38度前後らしい。ゆえに胃を冷やし過ぎると機能しなくなるので、冷やし過ぎないように用心が大切である。先人たちはこれにも上手く対応する暑気払いの飲みものを知っていた。

まずは、枇杷葉湯(びわようとう)。乾燥させた枇杷の葉に肉桂、甘草、甘茶などを細かく切って混ぜ合わせて煎じたもので、暑気あたりや下痢に効き、寝冷え知らずなどといわれ、庶民はよく飲んだという。

京都烏丸の薬店を本家とし、三都ともにこの店の名を称して売り歩いた。京坂では市中を売り歩き、江戸では人通りの多い橋の上でなどに担い箱を置いて売っていた。

実は私、この原稿を書く前に、鹿児島県で栽培されている枇杷葉茶なるものを購入して飲んでみた。漢方薬のような味かと思いきや、素朴でひなびた香りが詰まった淡味であった。

いま一つは、現代でも飲まれている麦茶であるが、昔は「麦湯」といった。麦茶は大麦を炒って熱湯で煮だしたもので、大麦の香ばしい香りがある。この麦類を炒って飲料にする風習は、煎茶が普及する以前からあったといわれ、江戸時代の文化・文政(1804~30)の頃には、江戸の町々に麦湯店ができて、麦茶が商いとして成り立つようになったという。今のように家庭で麦茶をつくって飲むようになったのは明治時代の半ばからとか。

 

暑気払いには何がいいのか?を探求し、その1~その3まで書いてきたが、未だに熱中症で倒れていないのは、それら暑気払いの飲みもの・食べものを摂っているからだろう。先人たちに感謝しつつ、早く夏が終わってくれることを祈りたい。

歳時記×食文化研究所

代表 北野智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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