災害時の必需食!【小泉武夫・食百珍】梅干

カテゴリー:食情報 投稿日:2016.04.16

梅干といえば、戦前派の人ならまず、「日の丸弁当」を思い起こすに違いない。戦時中の苦難期や戦後の混乱期に、露営や勤労工場で、そして焼け跡の整地場で、四角い弁当箱の飯の中に梅干一個を埋め込んだ質素な弁当を食べながら苦難と欠乏を耐えしのんだ日本人。この赤い小さな玉こそ、粗衣粗食の日本人を支えてきた食生活の原点といってよいだろう。

梅は中国原産のバラ科サクラ属に分類される落葉小木で、中国文化とともに、薬木として奈良時代に渡来した。平安時代の永観二(九八四)年に丹波康頼(たんばのやすより)が著した『医心方(いしんほう)』には「烏梅(うめぼし)」としてその薬効が説かれているから、大変古くから、日本人は梅干を重宝してきたことがよくわかる。

禅僧は点心(てんじん)〈茶請(ちゃうけ)や正食時の菜(さい)〉として、武士は出陣や凱旋の兵糧として、また家庭では食べものというより常備品として、大切に食べ続けてきた。

梅は塩漬けにすると、食塩の作用で浸透圧が高くなり、細胞の原形質分離が起こって梅の実から浸出液が出る。この液が梅酢(うめず)で、平安時代・承平年間(九三一~九三八年)の『和名抄(わみょうしょう)』ではこれを「塩梅(えんばい)」とあり、この塩梅がやがて「あんばい」と読まれて味かげんを意味するようになった。この梅酢は当時、よほど重要な調味料であったのだろう。

塩漬けにした梅には、途中、紫蘇の葉を加えて着色し、盛夏の晴天には梅酢から一度出して日干しし、再び戻してしばらく置いた後、肉が軟らかくなったところで梅酢と分け、容器内に密封貯蔵して味をならす。梅干の強い酸味(約四%)の主体はクエン酸で、ほかにリンゴ酸やフマール酸を含むが、これらの有機酸は現代医学でも整腸や食欲増進、殺菌作用などに効果あるものとされている。

 

そのことを体験的に知っていた日本人は、梅干を実に上手に使ってきた。疲れると、元気回復にと食され、風邪といえば湯に解いて飲み、子供の食あたりには下剤どめに良しと飲ませ、夏まけの防止にとしゃぶり、ツワリに良しと妊婦が好み、時にはこめかみに梅肉を張りつけて頭痛の特効薬ともした。

食べものが腐りやすい時期には、弁当やおむすびに入れて防腐の効果も期待した。まさに、梅干は日本人にとってオールマイティーの万能薬的存在であった。

梅干に薬効があるのは、梅から溶出してきたさまざまな有機酸のほかに、種子の核や紫蘇の葉から溶出してきた快香を伴った薬効成分(芳香剤アルデヒド類、テルペン系化合物、ペリラ化合物など)のためである。これらの化合物群は、前述したさまざまな症例のほかに、鎮咳、解熱、利尿、健胃、発汗、解毒、精神安定などに効果がある。

単に梅を塩に漬けただけでなく、そこに紫蘇を加えて着色させ、見た目を美しくしようとした一方で、梅成分とともに紫蘇成分の薬理効果(鎮咳、健胃、解毒、防腐など)も併せて期待した日本人のこの知恵には驚かされる。

 

梅干の都合の良いところは、何といっても長期間、保存のきく食品であることだろう。いつ、どんな時でも即席のものとして梅干一個で飯の二杯は食べられるから“救荒食品“として重宝され、有事の際は常に日本人を守ってきたのである。

小泉武夫

 

※【小泉武夫・食百珍】は小泉武夫が古今東西の食について語るスペシャル美味探訪譚です(不定期更新)。

 

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編集部
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