サンマの煙の匂いの秘密
「目黒のサンマ」という落語がある。あまりにも有名な落語なので、今さら話の筋を語るつもりはない。要するに、殿様があのようにまで恋い焦がれた焼きたてのサンマの匂いと味。ここではまずこれについて考察してみよう。
カンカンと炭火の起こった七輪の上の網わたしに、丸々とした生のサンマをのせると、「ジュージュープップッ」と鳴きながら、まず表面が焼ける。だが表面だけがはやく焼けるようでは焦げついてしまうので、中までうまく火が通るようにしなければならない。そこは炭火のよいところで、火に適当な加減を加えれば、十分にうまくいく。
殿様を最初に喜ばせた煙の匂いは、魚の表面の皮やその皮下層に重なっている脂肪が焼けて、炭化する時のもので、多数の化合物が複雑に加熱反応しあって生じたものである。
サンマには、30%近いタンパク質と、7~8%もの脂肪があるから、これが炭火で焙(あぶ)られると、脂肪が溶けだし、これが炭火に落ちて燻(いぶ)られる。その煙の匂いには、魚の生臭みの成分(トリメチルアミン、エチラミンなど)をはじめ、加熱反応で生じたカルボニル化合物や、脂肪とタンパク質が炭化の際に生じたフェノール化合物などがあって、それらが特有の匂いを発するのである。
日本で発展した「焼く」文化
「焼く」と「煮る」とでは、加熱するという共通の調理法でありながら、まったくの大違いで、サンマを湯で煮ただけでは、目黒には遠く足元にも及ばないが、焼くことによって容易に目黒に至る。煮ることはせいぜい100℃以下で進む加熱であるのに、焼くとなると、渡し金の上でさえ200~300℃という高温。火の表面では、1000℃という灼熱の状態にある。魚から出る匂いや味が、煮ると焼くので異なるのは当然なのである。
ところで、この「焼く」という調理法は、ごく一部の例外をのぞいて、地球上のほとんどの民族が最初に行った手法である。その後、長い食の歴史を経て、世界各国には「焼きの食文化」が明確な差を生じて盛衰し、今日に至ってきた。
その中で、食生活に独自の焼きの手法をとり入れ、バラエティーに富ませ発展させたのが日本人である。もちろん、外国には、肉を串に刺して焼いたり、鉄板の上で野菜もろとも肉を焼く料理、魚を燻蒸(くんじょう)したりする方法など、焼きの料理は多数ある。しかし日本人ほど材料の持ち味を生かして焼く手法を確立した民族は珍しいのである。塩焼、照焼、付焼、串焼、蒸焼、包焼、ほうろく焼、埋火焼(うずめびやき)……。そして街には炉ばた焼屋、焼鳥屋、串焼屋、鰻蒲焼屋、焼トウモロコシ屋、たこ焼屋、お好焼屋、焼いも屋、鯛焼屋……。
日本で焼く料理がこれほど独自に発展した理由はいくつかある。まず、魚介類や肉、野菜など、焼かれてうまい新鮮な材料が豊富であったこと。そして、焼いたものへの味付けとして、醤油、味醂、日本酒などわが国特有の調味料を持っていること。さらに備長に代表されるような堅炭や七輪、金網など焼く用具を調理に合わせてあみだしたことなどだろう。
このような条件がそろっているのだから、焼いた料理を食べてまずいはずはなく、日本人はますますこの調理法での料理を好む民族となった。
サンマは焼きたてに限る
話は再び目黒に戻る。焼いた魚から出る匂いは、魚好きの日本人をたちまち魅了してしまうが、焼かれてうまい魚は多くの場合、日本の近海もので、脂肪ののった魚である。キンキン(キチジ)、サンマ、鰯(いわし)、ホッケ、鰊(にしん)などはその代表格で、目黒組の優等生。殿様が「サンマは目黒に限る」といったのは、実は、お城に帰ってきて食べた憧れのサンマが、お毒見を経て、冷たくなっていたから、まずかったためである。目黒の村で食して実にうまかったのは、焼きたてのアツアツだったからで、熱いうちに食べると舌にうま味がのこり、魚本来の生臭みを燻しの匂いがかくしてくれる。やはり、サンマは焼きたてに限る。
小泉武夫