ジャガイモが日本に来たのは江戸時代初期と考えられています。ジャガタラ(現在のインドネシアのジャカルタ)からオランダ人によって伝えられたので、ジャガタライモからジャガイモになったといわれ、江戸時代では、今の北海道や山梨県で栽培の記録が残されています。その後馬鈴薯(ばれいしょ)と呼ばれ、あたかも日本に古くからあった植物のように品種改良が重ねられたことは良く知られているところです。
イモが日本で発展したワケ
サツマイモもジャガイモも、日本に入って来てから大いに発展した理由は、日本人が救荒食品としての魅力に着目したからにほかなりません。どちらも固体が大きい割に多収穫で、デンプンの含有量に優れ、飢饉の非常食としてはもってこいでした。明治時代になると、サツマイモやジャガイモの品種改良が進み、日本の風土に合った品種が次々に生み出されていきました。 一六世紀にカンボジアからポルトガル人の手によって伝えられたというカボチャも、優れた救荒食品でした。そのままでも半年は保つという保存性の良さに加え、当時は薄く切 ったカボチャを天日に干したものを保存しました。カボチャは、基本的には炭水化物ですがタンパク質も含み、何よりも緑黄色野菜の代表格として、カロテンなどビタミンの宝庫であるという特色を備えています。
※救荒食品=食糧不足に備えて、備蓄・利用される作物
小泉武夫