食を通じて身につける「道」の精神
「作法」には、見よう見まねである程度は身につけることもできる技術的な側面があります。これに対して「道」というのは、「教え」と「学び」によって物事の理解を深め、自分自身で考えて行動する能力を高めることといえます。
日本には、茶道、華道、書道、酒道、香道、柔道、剣道、弓道など、「道」で表される伝統文化が数々あります。できることなら、義務教育の過程で積極的に「道」を取り入れ、小学生の頃から精神修養の機会をもっと与えてもいいのではないかと私は思いますが、その一方で、こうも考えます。「道」の精神は、食を通じて養うこともできるはずだ、と。
実際に、日本の懐石料理は茶道とともに発達した食の文化です。食事の美しい所作を学ぶだけでなく、味や盛り付け、彩りや器にまで意識を向け、一期一会の食事を心で鑑賞する“ゆとり”を身につけるには、茶道の教えに則った食事の機会が、とても役に立つと私は思うのです。
「朝食はその日の難逃れ」
今の日本人は、世界一の“早食い”民族になってしまいました。これは戦中の悪しき習慣の名残かもしれません。海軍の食事などは、「いただきます」ではなく「食べ方、始め!」という号令で一斉に始まり、1秒でも早く食べ終わることが有能な軍人の条件とされたものです。いつ敵が襲ってくるかもしれないという非常事態からは、戦争の終結とともに解散されたはずなのに、なぜか早食いの習慣はなくなっていません。出勤前に、駅前の立ち食い蕎麦屋さんで瞬く間に朝食を済ませる企業戦士たちの姿は、日本でしか見られない光景なのではないでしょうか。
日本には、「朝食はその日の難逃れ」という言葉もあります。朝起きた後でお茶を飲む習慣は、体にいいだけでなく、心にゆとりを生むひとときでもあります。今日1日、何をしなければならないのか、大事な約束を忘れていないか、そういったことを気持ちの中でゆっくり整理しておけば、1日を難なく過ごすことができるもの、「朝食はその日の難逃れ」とは、人間はゆとりを持って日々を生きることが大切だという教えでもあるわけです。
心にゆとりを持つということは、一朝一夕に叶うことではありません。やはり、日々の生活習慣に大きく影響されると私は思うのです。だからこそ、毎日の食事を心で味わうことが、早食い民族になってしまった今の日本人には必要なことなのではないでしょうか。
……と言いながら、私も時間に追われているときや、だれも見ていないところでは、ついついガツガツ食べちゃうこともあるんですけどね。
小泉武夫
※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。
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