日本の食文化の粋
魚介、蔬(そ)菜、果物、などが最も美味で、漁獲高、収穫量ともに盛りに当たる時期を旬という。
古くは朝廷で天皇が臣下から政務を聞き、天皇は臣下に酒を賜る儀式があって、これを旬宴(しゅんえん)と呼んでいた。年二回行われ、四月一日の宴を「孟夏旬(もうかのしゅん)」、十月一日を「孟冬旬(もうとうのしゅん)」として、宴では時節の代表的な食べものを出したことから、旬の語が生まれたという説がある。
春夏秋冬と、四季が明確に分けられている日本では、一年中、動植物が交互に活動の場を持つから、旬のものは一年中にわたって分布する。四季のはっきりした島国とはいえ、肥えた土と良い水の国とはいえ、はたまた暖流と寒流の交差する国とはいえ、日本ほど季節によってうまいものが移り変わる国はたいそう珍しい。このことは、わが国の食の文化の特徴を語るのに、大切な事例のひとつともなっている。
野菜も四季を告げる食材だった
季節と食が織りなす綾
旬という言葉の意味を、正確にいい表す英語やフランス語もないようで、その点、日本人は食べもののうまさや食べごろを季節ごとに分けて整理し、それを旬というただの一語でずばりといい表す、知恵と粋(いき)さを持っている。
魚を例にとると、一年中いつでも美味な魚もいくつかあるが、大半はその味が多かれ少なかれ、季節によって変化する。その最もうまい時が旬となるが、旬の魚がうまいのは、産卵期前、体にタンパク質や脂肪などの栄養成分を豊富に蓄えた場合や、産卵期でなくとも、海流の関係で親潮(寒流)にのって、脂肪のついた魚が大量に下ってくる場合などが、旬のうまさにつながるのである。
また、川魚の鮎(あゆ)は、夏、水中の石に付着する珪藻(けいそう)が豊富に育ち、それを餌にしてどんどん成長し、西瓜(すいか)のような爽涼(そうりょう)な香気を帯び、姿態もいかにも均整のとれた時を旬とした。また十月、産卵前の落ち鮎は脂肪がのって絶品だとしてこれまた旬を選ぶ。
いずれにせよ、魚介も蔬菜も最も多く収穫される時を旬とみれば、大体間違いない。というのは、多くとれるから値が安く、新鮮なものを入手できるわけで、美味なのは当たり前なのである。
初物へのこだわり
ところで、江戸時代には「奢侈(しゃし)禁止令」がたびたび出された。この令は贅沢(ぜいたく)を戒(いまし)めるためのもので、例えば食に関しての浪費をやめさせるものとしては、「何は何月何日以前には口にしてはならない」と、詳しくその食味期間を決め、大衆の食べものを旬に合わせ、守らせていた。
旬のものは大量に収穫されるから安価となり、そのうえ栄養価が高く、味も良いから贅沢な食生活を防ぐのに最良の方法とされていたのである。旬をうまく使って贅沢を抑えるという、合理的な知恵であった。
しかし、禁止令が出れば出るほど、旬より早いものを食べるが粋人だとして、それを「走り」とか「初物(はつもの)」と呼んで、もてはやしたりもした。「初鰹(はつがつお)」などはそのなごりであり、鰹がむっちりと、脂肪がのって美味なのは、それより一か月ほど後である。
季節告知野菜の役割
その旬のものが、ここ数年の間に、日本の食卓から次第に消えつつある。以前、キュウリやトマトなどは代表的な季節告知野菜であったから、初物はまず仏壇に供えて、祖先の霊に季節を知らせたものだった。しかし、今ではそれらも全季節型野菜となってしまい、そこには初物や旬としての喜びもうすれ、おまけに味までも均一化されてしまった。
海や川では、養殖や栽培漁業の著しい進歩によって、マダイ、ハマチ、クルマエビ、鮎、ヤマメ、イワナなどが人工配合飼料で育てられ、近ごろのバイオテクノロジーの進歩は、大規模な植物工場の建設にまでつながった。
確かに、この方法では値が安く、新鮮なはずである。しかし、そこからは「旬」という、日本人が抱いてきた食への憧れが消えてしまった。食を科学の力で変えてしまう人間のおごりが、もしかしたら「食」という行為に潜んでいる最も大切な何物かを、少しずつ忘れさせていくのかもしれない。
小泉武夫