日本人の食べ物に感謝する心
食べ物に感謝をする心は、美しい食文化をつくります。日本人は、質素なものでも手間をかけたり、工夫を凝らしたりして、美味しく、無駄なく食べてきました。
たとえば芋茎(ずいき)という食べ物があります。里芋の茎を捨てずに干して保存しておき、食べるときは水で戻し、煮たり、味噌汁に入れたりしたものです。芋茎そのものは味もそっけもありません。カロリーだってほとんどありません。外国の人が見たら、「あんなスポンジみたいな野菜クズを食う日本人は貧しい」と思うかもしれませんが、芋の茎さえ無駄にしないでいただいてきたところが、食に対する日本人の心なのです。
日本人は心から心へという連続性の中で食文化を培ってきました。農家の人は心を込めて作物を育てます。漁師は、とれた魚に感謝をするとともに、奪った命の供養を忘れませんでした。食事をつくる人は、食材に感謝をし、大根の葉っぱも魚のアラも、絶対に無駄にせずに、心を込めて料理をしました。懐石料理などに見られる和食の盛り付けは、器の上の空間までもが計算され、芸術的でさえあります。日本人は、食に心を宿すことができる民族なのだと、つくづく私は思います。
食事スタイルの洋風化
そして、今一度考えたいのが、食べる側の心です。最近は生活も洋風化し、テーブルとイスで食事をする家庭が多くなりましたが、もともと日本人は畳の上に正座をして、お膳の料理を食べていたのです。
今は正座ができない子どももいます。正座をさせると脚の形が悪くなると言って、正座をさせない親もいると聞きます。ですが、ピンと背筋を伸ばした正座の姿勢というのは、気持ちも落ち着きますし、精神も集中するものです。つまり、昔の日本の子どもたちは、毎日の食事を通して心の修養をしていたとも言えるのです。
テーブルに肘を付いて食事をする若者が珍しくなくなったのは、きちんと姿勢を正して食事をする習慣がなくなったことも、理由の1つなのかもしれません。小学校では、じっと座っていることができず、授業中に教室内を走り回る子どもが増え、学級崩壊とまで言われています。そういう子どもたちが、家ではどんな姿勢でごはんをたべているのか……。もしかして、食べる姿はお父さんソックリだったりするのでしょうか?
小泉武夫
※本記事は小泉センセイのCDブック『民族と食の文化 食べるということ』から抜粋しています。
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