日本人の知恵が生んだ「からすみ」と「くちこ」
魚卵を材料とした食べものの中で、知恵と工夫が織り込められているのは、塩辛の類であろう。腸(わた)や、その他の臓器にあるタンパク質分解酵素を実に巧みに使って、魚卵を塩とともに漬け込み、なれ味を持たせたこの嗜好物はまさに傑作のひとつである。
鯛の子塩辛(鯛、ヒラメ、スケトウダラなどの卵を混合して塩漬けし、麴を加えたもの)、卵うるか(鮎の腸とともに卵を塩漬けしたもの)、ガゼ(ウニの卵巣の塩辛)など、全国にはこの手の珍味が広く分布している。いずれも、保存食として長く保つことができ、その特有の風味は、上戸下戸の差別なく、飯のおかずにも重宝されてきた。
ボラの卵巣の塩蔵品を清水で塩抜きし、圧しながら干し固めたものがからすみである。からすみの原形は、古く中国にあるといわれ、できあがった形が、ちょうど唐の墨に似ていることから、この名が付いた。
日本人がボラの卵を原料にして、今の形をつくったのは、江戸時代の延宝3年(1675年)といわれている。元禄時代の『本朝食鑑』(1695年)に、その製造法が詳しく述べられているから、歴史は古い。このからすみに、大変よく似たものが、南フランスのプロバンス地方にあるブータルグ(ボラの卵巣の塩漬け乾燥品)だが、洋の東西を問わず、互いに大型のボラの卵巣に目をつけ、それを保存できる珍味につくり変えた知恵の偶然の一致さには、感心させられる。
だが、奇妙なナマコの卵巣にまで手をのばし、そこから名品「くちこ」(このこ)をつくりあげた日本人の方が、魚卵の食法にかけては数段上である。
小泉武夫