日本で最初の卵料理の本
お好み焼き、鉄板焼き、焼きそばなどに鶏卵は不可欠の材料だ。そこで、日本人と鶏卵について書くことにする。今の日本人は、鶏卵をよく食べる。一人当たりの年間消費量は、マヨネーズや製菓用などの業務用も含めると約一六キロを超えるというから、アメリカや西ドイツと並んで、世界有数の鶏卵消費国なのである。
中世以前にあまり食べなかったのは、肉食同様の殺生観があったためだろう。例えば、『日本霊異記(にほんりょういき)』(奈良時代)や、『紗石集(しゃせきしゅう)』(平安時代)などには、卵を食べたため、恐ろしい報いを受けるといった話が記述されている。
日本で初めて卵料理の本が出されたのは、江戸時代の寛永二十(一六四三)年の『料理物語』で、そこには、実に手の込んだ料理法が記述されている。「卵ふわふわ」という料理は、といた卵をダシ汁と煎酒(いりざけ)、たまりで調味して蒸したもの、「まきかまぼこ」は卵焼きに魚のすり身を塗って巻き、これを茹(ゆ)でたもの、「玉子はす」とは、今日の辛子蓮根のようなもので、といた卵黄を蓮根に流し込んで、蒸したものであった。
その後、天明五(一七八五)年には、卵料理の決定版ともいえる『卵百珍』が刊行されている。
ここには「牡丹(ぼたん)卵」(和紙に卵を割り、これを上手に包んで茹でると牡丹の花のようになる)、「利休(りきゅう)卵」(白胡麻と古酒を使った蒸し卵)などのほか、「淡雪(あわゆき)卵」「更紗(さらさ)玉子」など、誠に風流で手の込んだ卵料理が多数記述されている。
これらの卵料理には、卵の持つ食味や色などを、十分に生かすための知恵と工夫が随所にみられ、そこには、日本料理の神髄の一端すらもかいまみる思いがする。
しかし、いくら卵料理の本が出たといっても、卵は庶民にとっては高根の花で、一部の特権階級や裕福な商家などの食べものであったようだ。庶民が食べられるようになったのは、明治時代に入ってからのことである。
茶碗蒸しと卵豆腐
昔の卵料理の知恵が、そのまま今日の食卓に伝わってきたものの代表に、茶碗蒸しと卵豆腐がある。この両者は、卵の性質を実によく知りつくした、気品のある料理である。
いずれも、卵のタンパク質を熱によって上手に固めたものだが、卵が水を包み込んで、全体を一様に軟らかに固める必要があり、そのうえ、口に入ると今度はなめらかに溶けるものをつくらなければならないから、やさしいようでコツがいる。
上手な固め方を科学的にみると、卵の濃度がダシ汁に対して二〇~二五%(卵一個約五〇グラムに対しダシ汁一五〇~二〇〇ミリリットル)であって、蒸し器内部の温度が九〇度の時、碗の卵の温度は約八〇度となり、これが十五~二十分間持続すれば、ちょうど良い固まり方をする。
卵が水を包み込んで、絹のごとき感覚の固まり方を引きだすには、ダシの量と温度加減がコツとなるわけである。
茶碗蒸しにいたっては、さらに芸が細かい。口に入れると、なめらかなほど優しい卵の感触に対して、ギンナン、鶏肉、クルマエビ、蒲鉾(かまぼこ)といった対照的な歯ごたえと、色彩豊かな具をわざわざ加える心にくさには、日本人があみだした日本料理の妙味が感じられる。
ほかに、厚焼きやだし巻き、魚のすり身を加えた伊達巻き、さらに和菓子類にも卵は広く使われてきたが、卵大好きの日本人を象徴する例として、卵かけご飯、柳川鍋、玉子丼、親子丼、かつ丼、卵でとじた蕎麦やうどん、かきたま、卵じめのように卵を気軽にかけてしまう食べ方が多いのに気づく。こうすると、一個の卵が料理をいっそう粋にするから不思議である。
小泉武夫