今回は、山菜の炊き込みごはんのしんがりネタ、たけのこごはんの話である。
たけのこは、山菜というくくりに入れない向きもあるが、「野菜」というのは元々、「野」の「菜」、つまり、「野のおかず」という意味を持つので、ならば「山菜」は、「山」の「菜」で、「山のおかず」ということになるので、山菜チームに入れてもおかしくはないであろう。
食べても食べても減らないたけのこ
毎度書いているが、猟師の私が猪罠を掛ける担当をしている広大な農園は、山菜天国。ここには数か所の良質で広い竹林もあり、毎年穫れるたけのこは評判の美味しさである。その美味なるたけのこは、猪たちの間でも評判となっているようだ。たけのこがまだ地面から頭を出すか出さないかという時に、猪が鼻で掘り起こしては食べてしまうのだ。
今年もたけのこの時期を迎え、気が気ではなかったが、猪の損害は少なく抑えられたようなので、ほっと胸を撫で下ろしたものだ。
農園の方からは毎日の見回りのお礼にと、掘りたて・茹でたてのたけのこをどっさりといただく。4月に収穫が始まってから今日まで、いったい何本のたけのこをいただいただろう。
以来、水を張った大きなタッパーの中のたけのこが冷蔵庫内にデン、デデン!と鎮座している。嬉しい。食べても食べても、たけのこは減らない。嬉しい。友人知人、ご近所にも配りまくり、感謝された。嬉しい。
たけのこごはんの良い点 怖い点
し、しかし!嬉しいづくしかというと、そうではないこともある。昔から伝わる代表的なたけのこ料理はもちろん、思いつく限りのたけのこ料理を作ったが、やはり、私が一番好きなものは、「たけのこごはん」であることがわかったからだ。
確かに、たけのこごはんは、一番に美味しいこと、二番に大量のたけのこを消費できること、三番にたくさん炊いてもおにぎりにして冷凍保存しておくといつでも楽しめることなどなど良い点はさまざまにある。
では何が問題か?というと、山菜のシーズンに入ってから今日まで、山菜炊き込みごはん小太りになってきた身体が、じんわりと大太りになりつつあるのがコワイということである。
そんなことは自制すればよいではないかというのは簡単だ。が、炊いている間中おひつから放たれる かぐわしい香り、炊き上がってフタを開けた時のさらに濃い芳香、おひつの中に広がるたけのことごはんが織り成す景色、口中へ運んだ時に鼻腔へ抜ける美味風、ひと口噛めば口いっぱいに広がるたけのこの歯応えと淡泊ながらも香ばしい旨み、その旨みと出汁が染みたごはんの甘み…ああ、これら鼻福、眼福、口福にどう抗って、制御すればいいというのだ。
江戸時代のたけのこめしとは
古くからたけのこは珍重されたが、焼いたり煮たりする調理法が主で、炊き込みごはんにするのは江戸時代になってから流行ったといわれ、この時代にも、「たけのこめし」は広く人々に愛されていたという。
ただし江戸時代は、白ごはんにたけのこを炊き込み、すまし汁をかけ、薬味を添えて食べたらしい。その作り方が載っているのが、江戸の食文化が爛熟期を迎えたとされている享和から文政の頃(1801~30年)に刊行された『名飯部類』という米飯料理の専門書。この中の<名品飯の部>に、「淡竹筍めし」と書いた「たけのこめし」が記されている。柔らかい部分を三四寸に切り、塩湯で煮たたけのこを、炊き上がった飯の上に置いて熟(うま)しておいて、紫蘇苗(めしそ)、花山椒、浅草のりなどを入れた出汁をかけて食べたようだ。試してみたが、個人的には現代のたけのこごはんの方が圧倒的に好きであった。
そういえば、今夜は我が家の“5日に4日の山菜炊き込みごはんローテーション”の1日目にあたる日。さぁて、これからまた、たけのこごはんの仕込みである。
歳時記×食文化研究所
代表 北野智子