今夏は母の初盆を迎える。恥ずかしながら、今まで自身で真剣にお盆のしつらえというものをしたことがなかった。私の実家ではお盆については、割とアバウトだったからだろうか。
海産物を商っていたので、有給休暇などはなく、休みといえば日曜日だけ。ゆえに、お盆にはやっと4~5日程の休みを取り、家族揃って旅行のほか、父は泊りで磯釣り、母娘チームは近場への旅に、それぞれ忙しかったのだ。
さて今年のお盆は、ちと気合いを入れて、盆行事にいそしもうと思っている。
撮影では何度も体験した盆の行事食
長く百貨店の食の広告制作をしてきた私、毎夏 お盆には、盆菓子や精進料理、精進寿司など、お盆の行事食の撮影をしてきた。初めての盆行事の撮影の際、一番印象に残ったのが、位牌や盆花、供物を置く盆棚に供える「キュウリ馬」と「ナス牛」である。それまでこれら野菜の馬と牛の存在など知らなかったのだ。
用意するものは、キュウリ、ナス、苧殻(おがら)。苧殻は、「迎え火」といって、浄土からご先祖の霊が帰ってこられるように、家の入口で、焙烙(ほうろく/素焼きの平たい土鍋)にのせて燃やす、皮をはいで乾かした麻の茎のことで、すでに仏具店で購入済みなのだ。
「キュウリ馬」とは、祖霊が家へ帰って来る時に乗ってこられるために、前脚と後ろ脚として、苧殻(おがら)をキュウリに刺し、馬に見立てて作ったもの。一方の「ナス牛」は、「キュウリ馬」同様、ナスに苧殻を刺して前脚、後ろ脚とし、牛に見立てたもの。行きが馬で、帰りが牛というのは、ご先祖の霊に、「早く来てください」「帰りはゆっくりとお戻りください」という願いを込め、だそうな。
今さらながら、このような馬と牛を考えた先人たちの、先祖を想う細やかで豊かな感性に感心してしまう。
キュウリ馬とナス牛で儲けた人物とは
お盆の最終日の夕方には、祖霊を送り出す儀礼の一つとして、盆棚の飾り物やお供え物、灯籠などを、小さな舟形にのせて川や海に流す「盆送り」「送り盆」といわれる行事がある。
今も地方によっては行われているが、キュウリ馬とナス牛を流すのは、環境問題になりそうで気が引けるので、ぬか漬にでもしようかと考えていたら、なんと、江戸時代に、流されたキュウリ馬とナス牛で儲けた人物がいたのだ。
その人は、豪商であり、海運・治水の功労者として知られる河村瑞賢(1618~99年<元和4~元禄12>)。貧家に生まれた瑞賢がまだ若くて無職の頃、品川の浜に打ち上げられている大量のキュウリやナスに出くわした。瑞賢はこれらを拾い集めて塩漬にし、江戸の各所の工事現場で働くものを相手に売り歩いたというのだ。豪商への道の第一歩が、お盆の供え物を再利用した漬物とは、バチ当たりなような、微笑ましいような話である。
ぬか漬がつくられ始めたのは、元禄時代(1688~1704年)だといわれている。この頃には庶民も白米飯を食べるようになり、精白の際の米ぬかが大量に出るようになる。これを用いて作られたのがぬか漬である。ひょっとして瑞賢がお盆の供え物でつくった漬物をヒントにして ぬか漬が誕生したのではないか。もしそうであれば、笑えてくる。
歳時記×食文化研究所
北野 智子