【今さら聞けない発酵の疑問(35)】近年、地ビールが増えたのはなぜ?

カテゴリー:酒 投稿日:2022.06.01

地ビールがおいしくなったのは、「日本人が本気で造ったから」―――。

わが国では1994年以前、ビールは大手4社と沖縄にある1社を加えた5社が、独占的に造っていました。それは酒税法という法律で、ビールを造らなければならない最低量が2,000klという大量だったためです。ちなみに、2000klを大瓶(633ml)に換算すると315万本で、一人で飲もうとすると毎日2本ずつ飲んでも4300年かかる計算です。大手5社では、ピルスナー・タイプというすっきりしたのど越しのいいビールを造っていました。すっきりしているので、お冷感覚で最初の一杯の「とりあえずビール」となったのでしょう。

 

大手では、日本の需要にこたえるためには、大きいタンクで処理できる今のような造り方が向いていました。戦後高度経済成長の中、大手メーカーは消費者のニーズに応えるべく、寡占市場を支配してきました。

ところが、1994年に酒税法が改正され、ビールの最低製造数量が60klへと下げられました。このために小規模でもビール製造ができるようになり、地方の酒造場を中心に、ビールの酒造免許が可能となりました。

この時、『大手のビールではない地方発の味の良い「ビール」を』、との期待を込めて「地ビール」という言葉をマスコミが作りました。ところが当時のビール醸造技術は、未熟でした。当時は大手ビールメーカーの技術者のみで、小型醸造装置に精通している人はほとんどいません。そこで海外の技術者が日本で製造したり、外国人の技術者が、日本人技術者を指導したりしたのです。一時は300社以上の地ビール会社がありました。ところが、大手の味に慣らされた舌には合わなかったため、地ビールのブームは2003~4年には終息しました。

 

2018年時点で、日本のクラフトビール・メーカーは141社と減りました。しかし、海外の地ビール(手造りを表すクラフトビール)で修業を積んだり、マスターブルワー(ビール造りの責任者)の資格取得や醸造学を修めたりして、日本人に合うビールが完成したのです。販売方法もインターネットの通販中心を契機に、新たなクラフトビール市場が成長し始めました。

さらに、名称も「地ビール」に代え、「ビール職人が丹精込めて手で造るビール」といった意味で「クラフトビール」と呼ばれました。クラフトビールの協会では「地域の特産品などを原料とした個性あふれるビールを製造」「20kl以下の小規模な仕込みで行い、ブルワー(醸造者)が目の届く製造を行っている」などの規定があります。

 

このように、日本人が本気で造ったビールが評価され、クラフトビールを目にする機会が増えました。このため醸造場は減ったにもかかわらず、クラフトビールが活況しているのです。

金内誠(宮城大学教授)

 

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編集部
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