長く外呑みができない状況が続く中、多くの人が家呑みを強いられている。
ふと思ったのが、外食や宴会など外ではお酒を飲むが、家ではほとんど飲まないという人は別だが、私のように、長年毎日普通に家呑みをしつつ、かつ外呑みも楽しんでいた人にとって、コロナ禍の後、新しいスタイルのように言われている家呑みに、何か新しい喜びや発見をされているのだろうか…という疑問である。「何が今さら家呑みやねん…」と口をヘの字にしながら杯を重ねておられるであろうご同輩に、ぜひ訊いてみたいものだ。
ありがたみがある外呑みのアテ
とはいえ、喜びや発見が皆無かというと、そうでもない。外呑みを禁じられ、長く家呑みだけをしていると、わかってくることがある。
お酒に関しては、当然のことながら家で飲んだ方が断然安いし、量も多い。いわば飲み放題である。お酒を割ったり、カクテルを作る時の必需アイテムであるソーダやトニック、ハーブ、ライム、オリーブなども、使い放題である。
しかし、アテについては、ちと違う。外で食べた方が美味な、いや、ありがたみがあるとでもというものがわかってくる。
それは料理そのものの味の優劣というよりも、供し方、器と量のバランス、つまみ方、オーダーのタイミングなどであろう。
例えば、「ポテサラ(ポテトサラダ)」である。
あえて少量をチビチビつまむ
今やポテサラは家庭の定番惣菜で、目新しさは無い。しかし、その家ごとに作り方・味付けがあり、たいがい家族全員が好きな惣菜である。
このポテトサラダの起源は、ロシアの「オリヴィエ・サラダ」説が有力で、19世紀、モスクワのレストラン・エルミタージュのシェフだったリュシアン・オリヴィエというフランス人が考案したとされている。茹でたじゃが芋、蒸した鶏肉、茹で玉子、キュウリ、ニンジン、キャベツ、リンゴを全て小さくカットして塩・胡椒し、マヨネーズで和えた具だくさんのポテトサラダである。日本風のポテサラのように、じゃが芋をつぶすスタイルではない。
日本では大正時代に帝国ホテルで考案されたという。当時は高級なハイカラ料理だったのだろうが、時を経て、日本独自のものに進化し、家庭の庶民的な惣菜になっていったようだ。
このポテサラ、家庭だけでなく、居酒屋やバー、立ち飲みでも人気のアテである。一見での店の品定めは、ポテサラの美味のレベル如何だと思っている。
スタートの際に「とりあえずの一品」で、本日のおすすめを食べた後の「箸休め」で、または最後の一杯と「シメのつまみ」で、さらには、「とりあえず」と「箸休め」、「とりあえず」と「シメ」の複数回など、ポテサラを注文するタイミングは人それぞれで面白い。
一番重要なのは、その「量の適量さ」ではないかと睨んでいる。家では皿にたっぷりと盛り付けてパクパク食べるポテサラであるが、外呑みでアテとしてつまむ際は、たいがい小鉢に盛られて供される。そのもの足りなさが、箸を舐め舐めチビチビつまむ行為が、外呑みを一段と楽しくさせるのであり、酒のおかわりを誘うのだろう。
と、これが長く続く家呑みでわかってきたことである。以来、自分で作ったポテサラを、家中で一番小さな小鉢やぐい吞みなどにチマチマと盛って、ウイスキーのロックや冷酒をチビチビと飲んでいる。ことほどさように、酒呑みとは、小さなことに喜びを感じるものなのだなと、我ながら呆れている次第である。
歳時記×食文化研究所
北野 智子