【歴メシを愉しむ(110)】昼寝起きに食べたい、おやつの話

カテゴリー:食情報 投稿日:2021.05.23

風薫る5月、そろそろ これから田植えのシーズンを迎える頃である。もともと田植えは、田の神の祭りをともなう神事でもあり、豊穣を願って皆で田植え唄を歌いながら、村全体で行う共同作業だった。

家ごもりの読書に耽るなか、かつて田植えの時期にあった面白い「昼寝」の風習を知ったので、ご紹介したい。

 

昔、「昼寝」には掟があった

近年、オフィスで昼寝をする効用が取り上げられていたが、かつては昼寝といえば主に夏場の風物詩だった。

民俗学者・宮本常一が記した『民間暦』(講談社学術文庫)の「新耕稼(こうか/土地を耕して農作物を作ること)年中行事」の内、「ひるね」の項には、徳川時代の初め頃、主に関西における農村の昼寝の習わしが記されている。

当時は田植え(5~6月)が始まると 昼寝が許されるようになったという。暑さが増してくる時期にきつい農作業が重なるので、もっともな事である。

 

昼寝ができなくなる?「トリアゲモチ」

八十八夜からとか、この日までに田植えを終える習慣があった雑節の「半夏生(はんげしょう)」からなど、昼寝が始まる日は各地でばらばらだったが、終わりとなる日は、「八朔(はっさく)」(旧暦8月1日)と決まっていた。

「八朔」は、百姓にとって大切な折り目の日だったようで、この日に搗(つ)く餅のことを、「八朔のニガモチ」とか、「昼寝のトリアゲモチ」などと言われていたそうな。この、百姓たちの恨みがこもった名前の通り、八朔の餅を食べると、それまで許されていた昼寝ができなくなったというのだ。

昼寝が村々の制度となっていた関西では、昼寝の始まる時刻とその終わりに、太鼓を叩いたり、鉦(かね)を打ったり、なんとホラ貝を吹いた例もあるというから、戦国時代の出陣のようで、笑ってしまう。

この時代、農民は働き続けることを強いられていたが、昼寝という休養は約束されていたのだ。

幼い頃の私は、特に夏休みには毎日していたように思う昼寝には、このような意味合いがあったのか(笑)。

 

懐かしい昼寝起きのおやつは「みつ豆」

さて、当時は昼寝から目覚めたら、よく、「〇〇があるよ!」という母の声がかかったものだ。寝ぼけてボ~ッとしながらもその声で、シャキィ~ンとするのが常であった。

その「〇〇」とは、「わらび餅」の場合もあれば、「すいか」の時もあり、「アイスクリーム」「あずきアイスキャンデー」「コーヒーゼリー」「プリン」「みつ豆」などさまざまで、いずれも昼寝とセットになった懐かしのおやつたちである。

この中で、私が最も懐かしく感じるのは「みつ豆」だろう。白玉入りあんみつやフルーツあんみつは今でも和菓子屋でお目にかかるが、シンプルな「みつ豆」はとんと見かけなくなった。

「みつ豆」は、幕末の頃、その原型となるようなものが屋台で売られ、子どもたちに人気があったが、一般に広まったのは明治時代。

東京浅草の和菓子店・舟和の創業者の小林和助が、色鮮やかなフルーツを盛りつけた「みつ豆」を考案。1903(明治36)年には、東京浅草に、西洋風喫茶のみつ豆ホールを開設、大人気を博した。1926(昭和元)年には、お汁粉屋やフルーツパーラーにてもみつ豆は人気ものとなり、あんみつやフルーツみつ豆も登場するようになる。

冷やっこいキューブ状の寒天に、茹でた赤えんどう豆、ミカン、白桃、黄桃、パイナップル、チェリーなどを合わせて、上からシロップをたっぷりかけた「みつ豆」の爽やかな味は、寝起きにはたまらない美味であった。

今ではほとんどが缶詰でしか見かけられなくなったのは残念だが、家ごもりの昼寝起きデザートに、仕入れるとしよう。

歳時記×食文化研究所

北野 智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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