とうとう新涼の時節到来。今年は異常な酷暑にマスク地獄も重なったため、こんなにも夏を呪ったことはなかった。が、喉元過ぎればなんとやらで、過ぎ去った季節に一抹の寂しさを感じる今日この頃だ。
いわし雲を見ながらヨダレを垂らし…
酷暑の中でも食欲は落ちなかった私だが、秋の涼しさはさらに食欲を刺激してくる。先日も蒼天に浮かんだいわし雲を見ていると、ムラムラといわしを食べたくなった。こうなるともう“いわし口”となり、ちょうど旬を迎えたいわしの料理アレコレが脳に浮かんで来る。
うむ、青魚特有の旨みを味わう刺身に始まり、コクのある生姜煮や一夜干しの塩焼きで日本酒か。いや待てよ、アツアツのいわしフライにジュジュッとウスターソースをかけてビールをグビリもいい。はたまたイタリアンスタイルのオーブン焼きや炒ったパン粉をのせるいわしパスタにしたら、白ワインに合うしな…などと、いわし雲を見ながら、ヨダレを垂らさんばかりに、次から次へといわし料理を食べているシーンを想像しニヤついている私、近くにいる人にはさぞかし不気味に見えるだろう。
本来いわし雲というのは、青空を海原にたとえ、白い雲の小片を魚群に見立てるなど、日本人ならではの美しい感性であるのだ。
いわしは紫式部の好物だったとか
いわしは昔から日本人に食されてきた魚。古くは藤原・平城両宮から、「伊倭之(いわし)」「伊和志(いわし)」と書かれた木簡が出土していることから、奈良時代からすでに「いわし」と呼ばれていたことがわかる。
語源としては、長く下魚(げうお)とされてきたことから「卑しい(いやしい)」が転訛したもの、あるいは水から揚げるとすぐに死んでしまうことや、他の魚の餌になることが多いから「弱し(よわし)」という諸説ある。
ほかにも、女房ことばで「むらさき」という呼び名があるという。この説の由来が、紫式部がいわしを好きだったからともいわれている。江戸後期に編纂された『和訓栞(わくんのしおり)』ではこう伝えている。
ある時、いわしを食べた紫式部は、その味をとても気に入った。だが当時の貴族社会では卑しい魚とされていたので、密かに食べるしかない。そこで夫の藤原宣孝(のぶたか)の留守中にこっそりいわしを焼いて食べていたら、夫が帰ってきてしまった。
宣孝がそのような卑しいものを食べている式部をたしなめたところ、彼女は「日の本(もと)にはやらせ給ふいわし水 まいらぬ人はあらじとぞ思ふ」という歌を詠む。「日本人なら、人気の石清水八幡宮に誰もがお参りするように、いわしを食べない人などいない」というのだ。おそらく涼しい顔で歌を詠んだであろう紫式部、さすがである!
江戸庶民のおかずとして人気ものに
江戸時代も元禄の頃になると、房総や相模など近隣から多くの魚介類が江戸の町へ送られてくる。中でも滋養豊かで美味な上に安価な魚として、人気があったのがいわし。刺身、塩焼き、煮物、つみれ、天ぷら、味噌漬、ぬか漬、いわし飯、干物ほか多岐にわたる料理法が生まれた。いわしを下魚とするなんて許せん!と怒っていた私としては嬉しい限りである。
さて、いわし雲を見て“いわし口”になった私、その夜食べたものは、唐辛子、にんにく、タイム、ローリエ、黒胡椒と一緒にオリーブオイルでちゃちゃっと煮た自家製オイルサーディンと、新涼に似合うシングルモルトであった。
歳時記×食文化研究所
北野 智子