【歴メシを愉しむ(91)】お雑煮~東の角餅・西の丸餅

カテゴリー:食情報 投稿日:2021.01.02

この年末は、「静かなお正月を」という忌ま忌ましいお触れが出ている。それに大晦日から元旦は猛寒気がやって来るらしい。どこまでも腹立たしい限りだが、怒りをぶつけるところもないので、粛々と年越し準備にかかるとする。

 

「雑煮」の名前は「雑多に煮た料理」から

年末のニュースで、お正月の料理の話題になるのは「おせち」ばかりで、「雑煮」が取り上げられることは少ない。しかし、元々は「おせち」は脇役で、元旦の主役は「雑煮」だった。それゆえ、その歴史も奥深い。

「雑煮」という名前は、「様々なものを雑多に煮た料理」のことで、大晦日に神前に供えたお神酒や餅、米、野菜、魚などを、元旦になると下げて、一つの鍋で煮込んだことからという。

 

東の角餅、西の丸餅

雑煮が生まれたのは室町時代頃といわれ、当初は武家の宴会料理の酒肴だったとか。江戸時代になると、庶民の間にも正月に雑煮を食べる風習が広まった。

よく言われるのが、東と西の雑煮の違いである。江戸は角餅ですまし汁、京坂は丸餅で白味噌汁。江戸後期の三都(江戸・京坂)の風俗を記した『守貞漫稿』には、「元日二日三日は全国的に餅を食べる。京の雑煮は戸主の椀に必ず芋魁(おやいも)を入れる。大坂は味噌仕立て。小芋、焼豆腐、大根、乾鮑、丸餅を用い、膳椀は外黒内朱である。江戸は切餅を焼き、小松菜を加え、鰹節を入れた醤油汁でつくる」とある。

そもそも餅の形は、丸餅が正統とされている。その理由は、正月に迎える歳神さまが依りつくもの(依りしろ)とされる鏡餅の丸い形は、古くからの祭祀用具である鏡や神さまの御魂(みたま)をかたどったものであるからという。

これが東で角形となった理由がちょっと面白い。町では暮れの十五日を過ぎると餅を搗き始める。大きな商家は自分の家で搗くが、杵と臼を持っている庶民はほとんどなく、餅を搗く専門の「賃餅屋」が町を回って餅を搗いた。これを「賃餅」という。賃餅屋は丸餅を作っていては手間と時間がかかるので、のし餅を作り、それを四角に切ったのが切餅(角餅)の始まり。人口が急増していた江戸の町では、合理的に物事を考え、かつせっかち気質な江戸っ子の知恵だといえるだろう。

 

関東のすまし汁、関西の白味噌汁

平安京が建てられた京都は、公家文化の雅な都。平安時代、彼らの口に合う味噌として白味噌(山城白味噌)が生まれたという。はんなり味の白味噌に合うよう、出汁は昆布のみで取る。一方、武家社会の江戸では、近辺で鰹が獲れたことに加え、「鰹」は「勝男武士」「勝つ」に通じるともてはやされたので、出汁は鰹節。また銚子で醤油が造られ、醤油文化でもあったことからすまし仕立てに。

最後に、餅を「焼くか」「焼かない」かは、それぞれの出汁に合うように工夫されたのだろう。甘くまろみのある白味噌汁には煮とろけた柔らかい餅が、鰹の香り漂うシンプルなすまし汁には焼いた餅の香ばしさと食感が合う。

ちなみに大阪人の私(父は大阪・母は京都)は幼い頃から、元日は白味噌仕立て、二日はすまし仕立て、三日は白味噌に戻るという雑煮パターンである。二日目の雑煮は出汁がすまし汁(だが出汁は昆布と鰹)になるだけで、焼かない丸餅は鉄則である。

それぞれその家の習わしが美味くあれば、それが一番なのだ。

歳時記×食文化研究所

北野 智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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