【歴メシを愉しむ(112)】ソースにこだわる大阪人

カテゴリー:食情報 投稿日:2021.07.03

前回、大阪の紅しょうが天について紹介したが、その折、大阪人はこの天ぷらにはソース(ウスターソース)をかけると書いた。しかし、全ての天ぷらにソースをかけるワケではなく、ソースの相手を選んでいるのはいうまでもない。今回は大阪人にとってのソースについての考察。

 

同じ料理でもソースをかけるもの・かけないもの

大阪人の私は、揚げ物惣菜店や市場、スーパーで買った天ぷらにはソースをかける。たまに塩をかける時もあるが、イカやキス、エビなどの魚介の天ぷらを、日本酒のアテに食べる時だけ。その際は必ずそれらの天ぷらはアツアツでなければならない。それ以外は、紅しょうが天を筆頭に、揚げたてでも、冷えたものでもほぼ全てのアイテムにソースをかける。その一方で、天ぷら料理店で食べる時は、一切ソースでなく、塩で食べる。

さらに、昔からの大阪名物に551の豚まん、しゅうまいがある。いずれも付いている辛子をソースに溶いてつけて食べる。けれども、551以外の豚まんやしゅうまいは、辛子と醤油で、あるいは辛子のみで食べるのだ。

ほかにも、練り天(他エリアでは「さつま揚げ」)をそのまま食べるには醤油だが、フライパンで炙った場合にはソースの方が好ましいと思っている。

改めて、この違いは何故だろう? と考えるに、おそらく親や周囲がそうしていたことに加え、長く受け継いできた大阪のDNAの舌とでもいうべきものではないか(笑)。

 

日本のソース発祥地である大阪

元々、たこ焼きやお好み焼きなどの粉モンや串カツがソウルフードの大阪人は、幼い頃からソースと馴染んで育ってきた。これらの食べものは、ソース一つでその味が大きく左右されるので、ソース選びは重要なのだ。

さらに日本のソースの発祥地は大阪であることも関係しているのだろう。イギリスで生まれたウスターソースが日本に上陸したのは、1900(明治33)年だとか。それに先んじること1894(明治27)年に、大阪の越後屋が三ツ矢ソースを、次いで1896(明治29)年には山城屋(現イカリソース)が錨印ソースをつくったのが、本格ソースの歴史の始まりだという。その後、兵庫県でも小規模・少量生産ながら、主に業務用のソースづくりが盛んになった。これら業務用の地ソースは、近隣の人々からの、分けて欲しいとの要望に応えて直販もするようになり、阪神間には地ソース文化が生まれたのである。

ゆえに阪神間の人々は、自分のお気に入りのソースがあり、たこ焼き用、お好み焼き用でそれぞれに決めたソースがあるのはもちろん、さらに串カツ用、焼きそば用、トンカツほか洋食用などと、マイ・地ソースがある人や家庭も少なくない。思うに、これらの地ソースは、流行とは無縁で、そのレベルは高くて旨い。

「え~っ、天ぷらにソースぅ?」という声をものともせずに、地ソースのDNAを後世に伝えていきたいものである。

歳時記×食文化研究所

北野 智子

 

  •                    

\  この記事をSNSでシェアしよう!  /

この記事が気に入ったら
「いいね!」しよう!
小泉武夫 食マガジンの最新情報を毎日お届け

この記事を書いた人

編集部
「丸ごと小泉武夫 食 マガジン」は「食」に特化した情報サイトです。 発酵食を中心とした情報を発信していきます。

あわせて読みたい