前回、大阪の紅しょうが天について紹介したが、その折、大阪人はこの天ぷらにはソース(ウスターソース)をかけると書いた。しかし、全ての天ぷらにソースをかけるワケではなく、ソースの相手を選んでいるのはいうまでもない。今回は大阪人にとってのソースについての考察。
同じ料理でもソースをかけるもの・かけないもの
大阪人の私は、揚げ物惣菜店や市場、スーパーで買った天ぷらにはソースをかける。たまに塩をかける時もあるが、イカやキス、エビなどの魚介の天ぷらを、日本酒のアテに食べる時だけ。その際は必ずそれらの天ぷらはアツアツでなければならない。それ以外は、紅しょうが天を筆頭に、揚げたてでも、冷えたものでもほぼ全てのアイテムにソースをかける。その一方で、天ぷら料理店で食べる時は、一切ソースでなく、塩で食べる。
さらに、昔からの大阪名物に551の豚まん、しゅうまいがある。いずれも付いている辛子をソースに溶いてつけて食べる。けれども、551以外の豚まんやしゅうまいは、辛子と醤油で、あるいは辛子のみで食べるのだ。
ほかにも、練り天(他エリアでは「さつま揚げ」)をそのまま食べるには醤油だが、フライパンで炙った場合にはソースの方が好ましいと思っている。
改めて、この違いは何故だろう? と考えるに、おそらく親や周囲がそうしていたことに加え、長く受け継いできた大阪のDNAの舌とでもいうべきものではないか(笑)。
日本のソース発祥地である大阪
元々、たこ焼きやお好み焼きなどの粉モンや串カツがソウルフードの大阪人は、幼い頃からソースと馴染んで育ってきた。これらの食べものは、ソース一つでその味が大きく左右されるので、ソース選びは重要なのだ。
さらに日本のソースの発祥地は大阪であることも関係しているのだろう。イギリスで生まれたウスターソースが日本に上陸したのは、1900(明治33)年だとか。それに先んじること1894(明治27)年に、大阪の越後屋が三ツ矢ソースを、次いで1896(明治29)年には山城屋(現イカリソース)が錨印ソースをつくったのが、本格ソースの歴史の始まりだという。その後、兵庫県でも小規模・少量生産ながら、主に業務用のソースづくりが盛んになった。これら業務用の地ソースは、近隣の人々からの、分けて欲しいとの要望に応えて直販もするようになり、阪神間には地ソース文化が生まれたのである。
ゆえに阪神間の人々は、自分のお気に入りのソースがあり、たこ焼き用、お好み焼き用でそれぞれに決めたソースがあるのはもちろん、さらに串カツ用、焼きそば用、トンカツほか洋食用などと、マイ・地ソースがある人や家庭も少なくない。思うに、これらの地ソースは、流行とは無縁で、そのレベルは高くて旨い。
「え~っ、天ぷらにソースぅ?」という声をものともせずに、地ソースのDNAを後世に伝えていきたいものである。
歳時記×食文化研究所
北野 智子