鳥貝喰いの鳥貝三昧
新元号「令和」と共に幕を開けた風薫る5月、新しい時代を迎えたこともあって、そこここに清々しい空気が溢れているようで、ちと落ち着かないこの頃である。
4月の半ばから末にかけて関西では肌寒い日が続いたことと、10連休という長いGW、巷のお祭り騒ぎなどに紛れたからか、今春は好物の貝類三昧に出遅れたので、夏までの間に遅れを取り戻そうと焦っている。
貝の中でも、シコシコムチムチした独特の食感と甘みのある「鳥貝」が群を抜いて大好物。毎度 寿司屋に行くとまず、お酒のアテに鳥貝を頼む。その際、寿司屋の大将に、「山葵醤油で?酢味噌で?」と訊かれると、「両方で!」と即答し、2種の味わいの鳥貝を楽しみ、合間にはぬる燗をコポコポ。
さて握りをつまむ段になると、最低でも6貫はいだだくのが鳥貝喰いの私のお決まりの楽しみになっている。
江戸時代から鳥貝寿司は京坂の名物
鳥貝は二枚貝で、その中の足の部分を食すのだが、面白い名前の由来は、足の形が三角形で鳥の首の形を連想させるから、あるいは鳥のくちばしのように紫がかった黒い色をしているから、その味が鶏肉に似ているからともいわれている。
鳥貝をネタにした寿司は江戸時代からあって、京坂の名物だった。
現在のような握りスタイルではなく、四寸四方(12×12cm)の箱の押し寿司で、一箱四十八文。一箱を十二に切って四文で売っていたようだ。
当時の風俗を記した『守貞漫稿』にも鳥貝の寿司について詳細が書かれている。
「鳥貝は一筥(はこ)四十八文、柿鮓(こけらずし)は六十四文なり。一斬れは二種とも四文」
現代の価格に換算すると、江戸時代中後期の一文は約12円だということなので、鳥貝寿司一切れは48円で、一箱は576円…安いっ!
『守貞漫稿』にはその図も載っているが、一切れとはいえ、江戸時代の鳥貝の押し寿司は、12cm四方というかなりの大きさである。涎を垂らしながら この時代にタイムスリップして、とりあえず十箱は買い占めてみたい。
この鳥貝寿司、かの『東海道中膝栗毛』でも弥次さん喜多さんが、京都でその旨さに感心しつつ舌鼓を打っており、京坂で流行っている寿司だったようだ。
拝みながら食べたい幻の「丹後とり貝」
間人(たいざ)のずわいがにや伊根の鰤、のどぐろなどブランド食材が溢れる丹後に、我が愛する鳥貝が、全国で初めて養殖に成功し、「丹後とり貝」として君臨している。普通の鳥貝よりかなり大きく肉厚で、深い甘みがあり、旨すぎるほどに旨い。残念ながら希少さゆえに(時期も5月~7月まで)、現地で味わうべき超高級な鳥貝で、10年近く前、宮津・天橋立近くの寿司屋で食べたが、噂通りのお値段で、うやうやしく頂戴した。しかも残数わずかで1貫しか食べられなかったのも恨めしい。
幻の「丹後とり貝」は旅の美味な思い出としてしまっておいて、鳥貝三昧を目論む私は、見慣れた鳥貝を買ってきて、江戸時代風に押し寿司を作ったりして、たっぷりと堪能したいものだ。
歳時記×食文化研究所
北野 智子