【歴メシを愉しむ(41)】
梅見月に食べたいお菓子あれこれ

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.02.20

如月二月の異称は「梅見月」。その名の通り、まだ寒い早春に凛と咲く梅の花が見ごろを迎えている。梅には「春告草」という異名があり、春の到来を告げる花として長く日本人に愛されてきた。

 

万葉人に愛され、元号「令和」の典拠にもなった梅

梅の木は奈良時代に中国からもたらされ、気品高い香りとたたずまいが貴族など上流階級の人々がこぞって尊んだ花だった。そのことは万葉集からも見て取れるようで、一番多く登場する花は「萩」で、萩が庶民から宮人まで詠む人を選ばないのに対して、二番目に多い「梅」は、詠み人が上流階級に限られていたという。またこの時代は現代とは違って、「花見」といえば桜ではなく梅を見るために観梅の宴が開かれていた。

新しい元号「令和」の誕生にも梅は関わっている。万葉集の代表的歌人・大伴旅人が天平2年(730年)の正月十三日に、大宰府で梅を愛でる宴を催した際、詠まれた32首の梅の連歌の序文「時に初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぐ。梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」が「令和」の典拠となっているからだ。初春の澄んだ空気と和やかな風の中、まるで佳人の白粉のように美しく咲く白梅の様子が描かれており、梅の花は愛でるのみならず、尊ばれていたことがわかる。

 

梅見で食べたい天神さんゆかりの餅菓子

梅をこよなく愛した歴史上の人物といえば、「天神さん」と親しまれる学問の神様・菅原道真。平安時代、讒言によって京の都から大宰府へ左遷される時、家に植えてあった梅との別れを惜しんで詠んだ歌が、「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」―この後、道真を慕って大宰府まで梅が飛来したという「飛梅」伝説があり、ゆかりの大宰府天満宮の「飛梅」をはじめ、道真を祭神とする各地の天満宮で梅が植えられ、名所となっている。

大宰府天満宮の梅にまつわる名物といえば、「梅ケ枝餅」。梅の刻印が入った薄めの餅と餡のコンビが美味な香ばしい焼餅だ。その由来は、餅を売っていた老婆が、左遷された道真を元気付けるために餅を供し、彼の死後は墓前に梅の枝を添えて餅を供えたとか、左遷後に軟禁されている部屋へ餅を差し入れる際、手では届かないので梅の枝に刺して渡したなど諸説あるようだ。

私がこの餅を初めて食べたのは、中学生の修学旅行で大宰府を訪れた時。その地に住んでいた祖母の姉妹がわざわざ会いに来てくれて、道中のお土産にと、梅ケ枝餅をドッサリと手渡してくれたのだ。以降、修学旅行の行く先々でずっと梅ケ枝餅をもぐもぐ食べていたことは懐かしい思い出である。

対して我らが大阪の天神さん、大阪天満宮の名物は「梅の木もち」。毎年2月半ばから開かれる「てんま天神梅まつり」で販売される、梅干をすり潰してもち米に混ぜ込んだ素朴な味わいが嬉しい餅である。

 

こちらも外せない 梅に鶯、夜の梅

さて、「梅に鶯」という言葉があるように、鶯は「春告鳥」と呼ばれている。まだ寒い時節ながら、鶯のさえずりが響くと、春の訪れを感じて嬉しくなる。この鶯をモチーフにした「うぐいす餅」もまた、早春に味わいたい和菓子である。ぽよんとゆるい丸形でやわらかい求肥の両端をちょっととがらせ、青黄な粉をまぶし、愛らしい鶯に似せた菓子の味は素朴で、和菓子屋で見かけると、つい買いたくなってしまう。

また、「夜の梅」という季語があるが、梅の花は昼間よりも夜から朝にかけて濃い香りを発するので、闇の中でこそ存在感を増すことからの由縁とされている。「夜の梅」といえば思い出すのが、虎屋の名品羊羹。菓銘の意匠は、「切り口の小豆を 夜の闇に咲く梅に見立てて」とあり、さすがの命名だと感心してしまう。

今年は夜の梅見と洒落こんで、立ち上ってくる梅の香と姿に酔いしれてみたい。もちろん、名物「梅の木もち」をもぐもぐしながら。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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編集部
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