3月に入り、二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」の時節。地中で冬ごもりをしていた虫たちが、うららかな暖かさに誘われ、土を啓(ひら)いて地上へ顔を出す頃を迎える。
万葉時代の貴族も愛した春の苦み
この時季、同じように土の中から芽を出すのが、春の使者ともいうべき山菜である。古来日本は山菜が豊富な国だった。万葉の時代から貴族は、薬狩りと称して野原へ山菜摘みに出かけるのが早春の行事で、その時に詠まれた歌が多く残っている。当時の人々にとって、春の野に萌え出る山菜は、待ちかねた新しい季節の到来を告げ、冬の間に不足していた栄養分を補給してくれる大切な食材だった。
「石(いわ)ばしる垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも」―「岩の上を激しく流れ落ちる滝のほとりのわらびが芽を出す春になったことだなあ」と、志貴皇子(しきのみこ/天智天皇の皇子)が詠んだこの歌は、春の到来を喜ぶ気持ちに溢れていると思う。「さわらび(早蕨)」は、芽生えたばかりのわらびのことだが、「わらび」ではなく、「さ」が付くと、始まったばかりの春の息吹や喜びがこもっているようで、とても好きな呼び名である。
わらびの他にも、蕗のとう、たらの芽、こごみ、うど、つくし、のびる、ぜんまい…様々に種類があれど、共通しているのが、春にしか味わえないほんのりとした苦みである。陰陽五行の考え方でも春には「苦いもの」を食べるとよいとされていて、冬の間に眠っていた心身を目覚めさせるように身体に溜まった老廃物を、春の苦みが外へ出して、めぐりを良くしてくれるのだとか。
蕗のとう味噌テカテカの焼きおにぎり
山菜に合う料理の筆頭に挙げられるのが、天ぷらやお浸し、和え物であるが、中でも特に好きなのが「蕗のとう味噌」。江戸時代の代表的な料理書の一つ、『料理物語』(1643年/寛永20)に、「焼いた蕗のとうに山椒味噌を塗って食べる」とあり、春の苦みが大らかに味わえる一品で、毎年せっせと作っている。作り方は超かんたんで、蕗のとうをさっと焼いて、山椒みそと和えるだけで出来上がり。
大きなおにぎりに、この味噌をテカテカとたっぷり塗って焦がさないように炙った焼きおにぎりにすると、たまらなく美味。これを竹の皮に包んで、早春の野山へ出かけ、大口を開けてかぶりついたら、江戸時代の人になった気分に浸れるので、結構気に入っている。
蕗の花蕾(からい)である蕗のとうは数少ない日本原産の野菜で、雪解けを待たずに土中から顔を出すことから、春の一番使者だろう。
土の香りと心地よいほろ苦み、新芽にこめられた生命力が、冬の間に寒さで縮こまった身体をシャンと伸ばしてくれるように思えるから不思議だ。
歳時記×食文化研究所
北野智子