残暑が厳しすぎるので、秋が近づいていることなど全く信じられないが、蝉の鳴き声を聞くとわかる。近頃はミ~ンミ~ン、ジージーだけでなく、カナカナカナ…という美しく切ない音色がよく聞かれるようになってきた。
「虫聴き」は日本人ならではの文化
8月のお盆時期は旧暦七十二候では「寒蝉鳴(ひぐらしなく/8月12日~16日)」。
「寒蝉(かんせん)」は「ひぐらし」のことで、秋に鳴く蝉を指す。実際にはお盆以降は灼熱地獄の暑さではあるが、夏の終わりを告げている候である。
「ひぐらし」の名は、「日暮れどきに鳴く」ことが由来だが、早朝や日中でも暗くなると鳴くこともあり、明るさが関係しているようだ。その独特の美しい音色は、去りゆく夏を惜しむような哀愁が漂う。
日本には古くから鳴く虫の声を愛でる「虫聴き」という風流な文化があり、世界的には大変珍しいという。夏の末から秋の始まり頃、夕暮れに野山へ出て松虫や鈴虫などの鳴き声を楽しむことで、万葉集に蟋蟀(こおろぎ)を詠んだ歌があることから、この文化の発祥は奈良時代とされている。
平安時代には貴族階級に流行しており、平安中期に成立した『源氏物語』の「三十八帖 鈴虫」に、庭に放った鈴虫の音色を愛でる場面が登場する。江戸時代になると庶民にも広がり、花見、月見、菊見、雪見に「虫聴き」が加わり、五つの風流とされていたという。虫の鳴き声は、昔から自然と共にあった日本人の物の哀れの情感を揺さぶり、「虫聴き」という文化が生まれたのだろう。
「虫養い」って何?
さらに日本人の虫に対する独特の捉え方が面白いのが、「虫」という言葉が使われている慣用句やことわざが多いこと。
「腹の虫がおさまらない」「虫の知らせ」「虫が好かない」「塞ぎの虫」「本の虫」「飛んで火にいる夏の虫」…などなど挙げるときりがない。
虫は人間の体内にいて、意識や心理状態を左右すると考えられており、潜在する意識や感情の動き、一つの事に熱中する人などをいう時に使われる。
中でも私の好きな“虫言葉”が、「虫養い」。これは「空腹を一時的にしのぐこと」、また「その食べもの」のことをいうが、京都の方言といわれている。確かに京都の祖母はよく、「虫養いにお食べ。」と言って、「おまん(おまんじゅう)」と「おぶ(お茶)」を出してくれたものだ。
この「虫養い」、私の中では、ケーキなど洋菓子系でなく、ちょっと懐かしさが漂う素朴なもの、そう、「みたらしだんご」などが最高!である。今なら近年登場した「冷やしみたらし」なんかもいい。みたらしだんごは時々ふっと食べたくなり、それから有り付けるまでずっと想い続けてしまうアイテムの一つだ。
「御手洗(みたらし)団子」と書くこの菓子の歴史は古く、元は京都・下鴨神社の夏越の祓えに供えた神饌菓子とされている。「御手洗」とは、神仏を拝む前に参詣者が手や口を洗い清める所で、昔から下鴨神社では土用の丑の日に、社前の御手洗川に足をつけて、無病息災を祈る御手洗参りがあり、平安期の頃 季節の変わり目に貴族が行っていた穢れを除く禊祓(みそぎばらえ)に由来するのだとか。この時に境内の糺(ただす)の森の井上の社という辺りで、串に刺した団子を売っていたのが御手洗団子の発祥だとされている。五体(人の身体)に見立てて、五個ずつ竹串に刺した団子を神前に供えた後、持ち帰って食べたという。
なんと、安土桃山時代の天正15(1587)年には、豊臣秀吉が「北野の大茶会」で御手洗団子を用いたことで有名になったとも伝わっている。
素朴な虫養いにも歴史がこもっているのだなあと、ひぐらしの鳴き声を聴きながら、みたらしだんごを食べる晩夏である。
歳時記×食文化研究所
北野智子