おせち、お雑煮の餅や白味噌、各種の鍋具材などなど、お正月の準備もほぼ終えて、さて残るは大晦日の夜、年取り膳で楽しむご馳走の段取りである。
昔は日本人全員がお正月に年を取った
かつて日本では、生まれた年を「1歳」とする数え年で年齢を表したので、お正月(元日)を迎えたら、みんな一緒に1歳、年を取った。ゆえに大晦日の夜に、「年取りの膳」、「年越し料理」といって、家族みんなでお祝いの膳を囲んで、歳徳神を迎えて料理を神前にお供えし、ご馳走を共食して無病息災を願う習わしがあった。昔は、このご馳走のことをおせちと呼んでいたが、やがてお正月にいただく重箱料理をおせちというようになったとか。
その昔は日没の時が1日の終わりで、それ以降は明日とされていたため、大晦日の夜はすでに1月1日に変わっている。年取りの膳はその時代の名残でもあるようだ。
現代にすると、紅白歌合戦を観ている時刻にはすでに元日になっているということである。
「年取り魚」と呼ばれる西の「鰤」と東の「鮭」
昔から年取りの膳の主役は、「年取り魚」といわれる魚が主役で、その魚種には地域差があり、西日本では「鰤」、東日本では「鮭」が用いられてきた。その境界線は新潟の糸魚川から静岡にかけて日本列島を縦断するフォッサマグナとほぼ一致するというのは面白いことだと思う。
鰤は古くから縁起の良い出世魚とされ、その理由は成長するにつれ、その呼び名が変わることに由来する。関西では「つばす」「はまち」「めじろ」「ぶり」、関東では「わかし」「いなだ」「わらさ」「ぶり」で、成魚になると共通して「ぶり」と呼ばれる。
この「ぶり」の語源は諸説あり、脂肪が多いことから、「あぶら」→「ぶら」→「ぶり」になったとも、中国で「老魚」ということから、日本で「年を経た魚」という意の「経魚(ふりうお)」が転じて「ぶり」となったともいわれている。
大阪人の私は幼い頃から正月魚といえば鰤。
実家では大晦日の夜は、年取り膳ではなく、年越し料理と呼んで、鰤の腹身のお造りや大きなカマの部分を塩焼きにして食べたものだ。おせち重には必ず鰤の照り焼きが盛り込まれていたし、三が日に家族で囲む鍋料理の一つには鰤しゃぶがラインナップされていた。昆布出汁にさっとくぐらせた薄い身を、これまた大阪人が愛するポン酢にちょんとつけていただくその味は、永遠に食べていたいと思わせるほどである。
ちなみに東日本の年取り魚には新巻鮭が使われてきた。
新巻の由来も諸説あり、塩漬けにした鮭を荒縄で巻いたから「荒巻」、藁で巻いた「藁巻」が転訛したもの、鮭に粗く塩をまいたから「粗まき」などなど。現在では、その年に穫れた新物の鮭に塩をからめるという意味合いのようだ。新巻鮭は東日本の鮭文化圏の象徴的な存在とされ、長年 年末の贈りものとして喜ばれたのは、年取り魚として年取り膳のご馳走とする習わしがあったからである。
年取りの習わしは現代人の生活から消えつつあるが、一年最後の日である大晦日には、ゆく年への感謝と来る年の幸を願い、気持ちを新たにするひと時として、家族で囲む「年取りの膳」が復活してほしいと思う。
そして この時とばかり、脂がのった鰤を、塩焼き、照焼き、お造り、しゃぶしゃぶ、握り、かぶらずしなどで、たっぷりと味わう鰤三昧といきたいものだ。
歳時記×食文化研究所
北野智子