【歴メシを愉しむ(86)】「丼がくる」 その1~そば屋に丼ものがあるワケ

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.11.23

続けて、丼の話である。

前回は私の大好物丼「木の葉丼」を書いたが、今回はここまで日本人に愛され、また世界に誇る「丼文化」を創り上げた丼という食べものが登場した経緯について記しておきたいと思う。

 

思えばユニークな「どんぶり」という名の語源

丼は、ご飯の上におかずとなる具をのせただけの簡単な一品で、これが食事として庶民に定着したのは、昭和の後半とされており、勤め人や商売人が昼ごはんとして手軽に食べられることから一気に広がったという。

日本の丼の起源は、いまひとつ明確ではないとされているが、諸説を紐解いていくと、これがなかなか面白い。

丼の語源について見てみると、『たべもの語源辞典』(清水桂一編)によると、江戸時代の寛文年間(1661~73)の頃、「けんどん屋」(「突っけんどん」の意から)という盛り切り一杯の飯やそば、うどんを売る店ができて繁昌した。この盛り切り一杯に使っていた鉢を「けんどん振りの鉢」といったところから、略して「どんぶり」になったという。

また「丼」という字は中国文字だが、井戸の中に石を一つ落とすと「ドンブリ」と音がするということから、この字を「どんぶり」と呼んだという。言われてみればその通りで、そんな音から丼の名前が誕生したのかと思うと微笑ましい。

さらには器以外にも、職人の腹掛け・胴巻き(小銭入れ)も「どんぶり」と呼ばれるようになったそうで、「丼勘定」という言葉は、昔、職人が腹掛けのどんぶりから無造作に金を出し入れして使ったことから来ている。

 

丼鉢初登場はそば屋説

丼という器、いわゆる丼鉢が日本にやってきたのは江⼾時代の半ばから後半のようで、寛政から天保(1789~1844)頃の風俗などを記した『寛天見聞録』に記述がある。「丼は、江戸中期から後期にかけて朝鮮から輸入されると、まずはそれまでのそば屋の皿盛りも丼となった」という。そしてその丼鉢が登場したことで、花巻き、あられ、しっぽく、玉子とじ、鴨南蛮、親子南蛮、天ぷらなどの“タネ物”が誕生したという。なるほど、丼という器がなければ、そば屋には平盛り形のメニューである盛りやざるの類しかなかったことになるので、丼鉢の功績は偉大である。

今でこそ丼専門店は珍しくなくなったが、ほんの数十年前までは、丼物を食べようと思えば、そば屋かうどん屋に行っていたものだ。

その後、そば屋のタネ物をヒントにして「玉子とじそば」→「玉子丼」、「親子南蛮(鴨肉を使った鶏卵とじ)」→「親子丼」、「天ぷらそば」→「天丼」というふうに、「そば」が「ご飯」に変わり、現在に伝わる丼メニューが生まれていったようだ。

 

このように丼の歴史は奥深く面白く、日本を代表する丼それぞれの由来は、【「丼がくる」その2】でご紹介したい。

歳時記×食文化研究所

北野 智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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