【歴メシを愉しむ(48)】
桜餅~関東風か関西風か?

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.03.31

旧暦七十二候「桜始開(さくらはじめてひらく)」(3月25日~29日)」も過ぎ、いよいよ爛漫の春の訪れである。

この時季、よくいただく大好物が、桜葉の香りゆかしい、春を代表する名菓「桜餅」である。桜の葉を使うのは同じでも、この桜餅、関東(長命寺派)と、関西(道明寺派)には違いがある。焼いた小麦粉生地で餡を巻く関東と、道明寺生地で餡を包む関西…ううむ、好みも分かれるところだ。

 

長命寺派桜餅(関東風桜餅)

桜餅が誕生したのは、江戸向島、隅田川堤近くの長命寺。この辺りは有名な桜の名所で、八代将軍徳川吉宗が、江戸庶民が広く花見を楽しめるように、ここに桜の木を植えさせたという。

この長命寺の門番・山本新六が、寺の周りの桜の葉を使用して桜餅を考案した。下総銚子から江戸に出てきて長命寺の門番になった新六は、享保2(1717)年に「山本や」を創業、今も伝わる桜餅の名店の初代である。春ともなれば花見客が押し寄せる桜の名所にある寺で、その光景を日々眺めていたであろう新六は、花より団子、いや花より葉に着目し、商いのヒントを得たのだろう。

集めた桜葉を醤油樽の中で塩漬にし、その葉で餅を巻き、「長命寺の桜餅」の名で門前で売り出したところ、たちまち大評判を得て名物となった。

曲亭馬琴らが巷の珍説・奇談などを集めて編集した随筆集『兎園(とえん)小説』(文政8年/1825)によれば、この桜餅のために文政7年に使用した桜の葉は、77万5000枚という。当時は桜餅1個に葉を2枚使っていたので、なんと1年間で38万7500個もの桜餅が売れていたことになり、いかに人気商品であったのかがわかる。

 

道明寺派桜餅(関西風桜餅)

一方、関西風の桜餅は「道明寺桜餅」ともいわれ、こちらも寺が関わっているのが面白い。道明寺とは、餅米を蒸して乾燥させ、割って粉にしたものや、その粉を使った生地をいう。この発祥の地が大阪府藤井寺市にある道明寺で、学問の神様とされる菅原道真の叔母・覚寿尼(かくじゅに)が住職をしていたことが知られている。

讒言(ざんげん)によって大宰府に左遷される道真が、覚寿尼を訪ねて別れを惜しんだとされ、この故事は、人形浄瑠璃や歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』で描かれている。左遷された道真の無事を祈願してお供えされたご飯のおさがりを信者に分け与えたところ、それを食べると病が治ると評判になった。後に、乾燥させた干し飯=糒(ほしいい)として作るようになったと伝えられている。

長期保存ができるこの糒は、湯や水で戻せば食料となるので、戦国時代の兵糧米に、江戸時代の旅の携行食にと重宝がられた。宮中や将軍家にも献納されるほどになり、やがて道明寺が糒の代名詞になったそうである。

この糒は現在でも道明寺で販売されており、和紙袋の「ほしいひ」の文字は、古文書から写したという豊臣秀吉の書で、歴史を感じさせてくれる。

 

関西風の桜餅を作った人は謎のままか?

この道明寺生地で作る桜餅は、プツプツ・モチモチとした食感が心地よく、桜葉から移った香りとほのかな塩気が相性抜群で、いくつでも食べてしまうのだ。

残念ながら、いつ、誰がこの道明寺糒を使って関西風の桜餅を誕生させたのかは定かではないようだ。桜餅そのものについては、幕末から明治初年にかけての大坂の風俗資料とされる『浪華百事談』に、「天保の頃までは浪花に於いて桜餅を製する家はない」という記述がある。

 

桜餅は地元のソウルフード

薄い小麦粉生地が春衣の反物(たんもの)のような関東風、ぷちぷち米粒のぽってり丸い関西風…それぞれに美しく、美味な桜餅である。

が、そろそろ長命寺派か? 道明寺派か? の結論だが、多くの人は、自分が長く食べ慣れた桜餅が好ましいに決まっている。大阪人の私は当然ながら道明寺派であるが、ちょっとおすまし気分で食べる時は長命寺もいいなと思う。

場所に例えると、芦屋の桜を観ながらなら長命寺、大阪城の桜を観ながらなら道明寺という風に。それほど道明寺桜餅は、地元大阪の桜を彷彿とさせる、春のソウルフードなのである。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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