【歴メシを愉しむ(29)】
今年の年越しそばは…

カテゴリー:食情報 投稿日:2019.12.23

今年も早や年の瀬を迎えて、毎年そろそろ大晦日の年越しそばのメニューにあれこれ悩む、楽しみな時期になってきた。

 

江戸時代から続く年越しそばの風習

年越しそばを食べる習慣が庶民に定着したのは江戸時代とされている。その由来は、長く延びるそばを食べて寿命や家運が細く長くのびるように願ったり、逆にそばは切れやすいので、旧年の災厄をきれいさっぱりと切り捨てるため、あるいは金の細工師が仕事納めに散らかった金粉をそば粉を使って集めることにあやかって、金運を呼び寄せる縁起を担いでなど諸説あるが、いずれも新しい年の幸を願ったものだ。

 

年越しそばの別名は、「晦日そば」「年取りそば」「福そば」など様々あるが、「大つごもりそば」という名前もある。これは毎月最終日を「つごもり」ということから、一年の最終日なので「おおつごもり」。「つごもり」とは「月隠り(つきごもり)」が転じたもので、太陰暦では月末は空の月が隠れて見えなくなることに由来する。

 

師走の日本人DNAを感じる年越しそばで

さて、今年の年越しそばを何でいくか―である。年越しそばの内容に決まりはなく、ざる、かけなどのスタイル、海老天、にしん、かき揚げなどの具材等、各ご家庭でお好きなメニューを楽しまれていることであろう。

我が家では母方が京都ということもあり、にしんそばにすることもあるが、断然多いののが「討ち入りそば」だ。

この「討ち入りそば」とは、言わずと知れた赤穂浪士が主君・浅野内匠頭の仇を討たんと吉良邸に討ち入った『忠臣蔵』にちなみ、私が考案したもので、この時季にふさわしい一品であると自負している。

 

少し前までは毎年12月も後半になるとTVで放映されたのが、時代劇『忠臣蔵』である。現代の30代以下の人は知らないかもしれないが、これは師走の番組編成の恒例中の恒例であった。すでに何十回も観ているのに、ついまた観てしまう、師走の日本人のDNAが感応する、心に沁み込む物語である。

 

歴女で、刀剣女子で、墓マイラーの私も涙なくして観ることができないが、歴メシ好きの食いしん坊にとって気になるのが、赤穂浪士が討ち入り前に食べたとされている「蕎麦」である。

これについては諸説紛々、真偽のほども定かではないが、支持が多い説としては、主君の仇を討つ本懐を遂げた後、皆と別れ、一人姿を消した寺坂吉右衛門が記したとされる『寺坂信行筆記』。これによると、討ち入り前の集合場所となっていた堀部安兵衛宅、杉野十平次宅、前原伊助宅の三カ所のうち、安兵衛宅に向かった数名が、両国橋の茶屋で、「そば切りを注文し、ゆるゆると休息した」というのだ。

これから吉良邸へ討ち入ろうという時に、なんという余裕だろうか!これぞ、日本の武士の姿! と感動したので、年越しそばには、“自家製”の「討ち入り蕎麦」を作り、彼らの心に思いを馳せながらツルツルやっている。

 

赤穂浪士が吉良上野介の邸に討ち入りした日は、およそ310余年前の元禄15年12月14日とされ、多くの時代劇では、討ち入り時には舞い散る雪が描かれるが、これは後世の『仮名手本 忠臣蔵』における脚色だそうな。

実際は晴れた月夜だったそうなので、ベースは月見そばとし、卵をぽとり。まとっていた火消し装束の色が黒だったので、海苔をはらり。吉良邸の門前で、討ち入りの際に大石内蔵助が打ち鳴らす山鹿流陣太鼓の勇ましくも哀しい響きを思い、伊達巻をちょん。そして、本懐を遂げた「よろこぶ」気持ちを、おぼろ昆布に託してほろほろ。 もちろん、薬味には、四十七士の一人・原惣右衛門元辰が一子、原儀佐衛門が剃髪後に「了郭」と号して、元禄16年、祇園に開業した「原了郭」の黒七味で決まり。こちらの七味も一子相伝で秘伝の製法を受け継いで310余年、古より公卿、宮家、茶人、文人墨客などに愛されてきたあまりにも有名な薬味である。

 

迎春の華やかさとは縁遠い渋めの蕎麦ではあるが、大晦日の胃の腑にしみじみと沁みわたる味わいである。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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編集部
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