今年は桜の開花が早いというのに、素直に喜べない。かねてからの状況で、花見にも制約がかかり、例年通り意気揚々、「いざ花見へ、しゅっぱぁ~つ!」ということにならないのが、ほんに辛い。どうやら桜を見ながら、いつものような桜の下で宴会は、無理そうである。
世界に誇る日本の花見文化
だからといってDNAに大切な花見文化が浸透している、世界でも類なき我らが日本人として、このまま手をこまねいて花見期間を過ごすなどとは、敵に背を向けて敗北した武将気分になり、悔しい。ということで、残念ではあるが妥協策として、桜を観賞する桜散歩と併せて、「お家で花見=巣ごもりの宴」とすることにした。
しかしながら、そもそも「花見」とは、花、特に桜の花を観賞するために、山野に出かけて飲食する行事をいう。そう、日本人の花見の特徴は、外側から眺めて鑑賞するだけではなく、桜の下に入っていって、飲食をして楽しむところにあるのだ。
この習慣は、桜の霊気を心身に受け止めて、生命力を補給するという古来の自然信仰の表れとか。舞い散る桜の霊気と花びらを杯に受け止めて飲む。なんという風雅な酒の飲み方であろうか。
江戸時代になると、庶民にも春の行楽として花見が浸透し、世界に誇る弁当文化も花開くのであった。
落語『長屋の花見』のお笑い花見弁当
古典落語に『長屋の花見』という噺がある。元々は『貧乏花見』という上方落語の演目の一つだが、明治時代に、二代目蝶花楼馬楽(ちょうかろうばらく)がこの噺を東京に移し、江戸落語では、『長屋の花見』となったそうな。
貧乏長屋の店子の面々が、大家さんの発案で、景気づけに花見と洒落ることになった。しかも、花見弁当である一升瓶三本もの酒、重箱に詰めた蒲鉾や玉子焼きは、大家さんのおごりだという。一同喜んだのも束の間、酒肴の正体は、酒の代わりに番茶、蒲鉾に見立てた大根のこうこ(漬物)、玉子焼きに見立ててたくあんであった。よそ目にはわからないから大丈夫と大家さんにけしかけられ、毛氈の代わりに筵(むしろ)を担ぎ、一同恐る恐る出かけて行く。繰り込んだ花見の名所・上野山で花見宴を開いたものの、“お酒”ならぬ“お茶け”で“茶か盛り”をして酔ったふりをしたり、大根の“蒲鉾”と“玉子焼き”は、ポリポリと音が出ないようにして食べるなどのやり取りが傑作だ。“酒”を飲んでいた店子が、「大家さん、今年はいいことがありますぜ。ほら、酒柱が立ってまさぁ」がオチである。(笑)
ネタ仕込みで楽しむ巣ごもり花見
さて、この噺を基に、巣ごもり花見の一興として、色付きの一升瓶に番茶を入れ、大根の白い漬物・紀ノ川漬と黄色のたくあんを詰めた重箱を用意しよう。乾杯の盃を飲み干した時、お重の蓋を開けた時のゲストたちの驚く顔を見るのが今から楽しみである。
大いに笑った後は、勿の論で、本物の酒が入った一升瓶、鱧のすり身たっぷりのシコシコ大阪蒲鉾、ぽってりとぶ厚い玉子焼きを詰めた重箱を出すという趣向である。
さあ、巣ごもり花見、桜の花びらを杯に浮かべて、目一杯楽しもうじゃありませんか。
歳時記×食文化研究所
北野智子