狩猟の解禁
今月11月15日は何やらソワソワ落ち着かない日であった。それは、この日が待ちに待った「狩猟の解禁日」であったからだ。
何もすぐにこの日から獲れたての猪や鹿、鴨などのジビエが食べられるからではなく、猟をしてもよい期間に入ったということで、何故ならばそれは私がハンターのタマゴであるからだ。
実は昨年 長年のジビエ好きが高じて、狩猟免許2種(第1種銃猟、わな猟)を取得した。現在はハンターを目指して勉強・準備をしている最中である。
ジビエ大好き人間になった20年以上前から、日本は欧米諸国に比べてジビエ料理が広く普及していないと感じてきた。百貨店のフードディレクターとして、折に触れジビエ料理の魅力を伝えてはきたものの、そうそう需要は増えるものでもなく、時は流れていった。
念願の猟銃を手にする
近年では農林業に被害をもたらす鹿や猪などが有害鳥獣とされ、その捕獲に力が入れられ、頭数も徐々に減ってきているにも関わらず、ジビエがたくさん流通している状況にはなっていない。
獲らせてもらった命は余すことなくいただくことが感謝に繋がると思っているが、実際にはそう簡単な話ではないようだ。そのような事情を知りたいと思い、まずは現場を知らずしては何も始まらないと思ったからである。
銃所持が許されない日本国で、猟銃の所持許可を受けるまでには当然だが様々な手続きや試験、講習等々の難関があり、全てをクリアした者だけが猟銃を手にすることが許される。
狩猟免許を取った後、有害鳥獣捕獲入門講座である狩猟マイスタースクールに入り、昨年より鋭意勉強中で、実際に山での猟にも同行・見学し、獲った鹿や猪をその場で解体することも体験した。ジビエのレシピ開発をしたいと思っているので、解体作業は大きな発見と勉強、舌鼓の連続であった。
「ももんじ」は「バケモノ」!?
さて、テーマの「ももんじ」肉や「山鯨とは?」の本題に入ろう。
「ももんじ」あるいは「ももんじい」とは、江戸後期に流行った言葉で、「バケモノ」の意であり、それと同時に猪、鹿、狸、かもしか、兎、猿など(書物によっては、熊、狐、狼、りす、かわうそも)の獣肉を売って食べさせる店の呼び名「ももんじ屋」だったのだ。
獣肉を販売する店がなぜももんじ屋と呼ばれるようになったのかには、なかなか深い理由がある。
そもそも日本では675年(天武天皇4)、仏教の興隆に熱心だった天武天皇により、肉食禁止の詔が発布された。以来およそ1200年間も続いて、日本の食べ物は肉から遠ざかってしまった。
ここで禁止された肉は、牛、馬、犬、猿、鶏である。禁止令の特徴としては主に家畜類が対象で、例外はあるが野生動物は外されていた。とはいえ肉食への禁忌観念は強く、多くの人々は獣肉も毛嫌いしていたそうな。
猪肉は「薬喰い」
ところが江戸中期頃から末期にかけて密かに獣肉を食べる人が増えてくるのだ。
中でも猪肉はその旨さから人気が高かった。食べると身体がポカポカと温まることから、「薬喰い」と称して、養生のため、薬代わりにやむなく肉食をしているという体にしていたのだから、微笑ましい。
昔から「悪いことをしたために受ける報い」のことを「獣(しし)喰った報い」というが、こんなことわざになるほど、獣肉を食べることは忌(い)まれていたようだ。
「しし」の字には、「猪」や「鹿」もあてられ、関西では「温かい」ことを「ぬくい」というので、「猪(しし)喰った(ら)、温(ぬく)い!」という意味で使ったのやもしれない。
そして、「山鯨」とは「猪」のこと。肉食する人は後を絶たないものの、まだまだ世間をはばかりながらのことであったから、ももんじ屋では猪ではなく山鯨だといって、看板にもそのように記していた。歌川広重『名所江戸百景』の「びくにばし雪中図」にも「山くじら」の看板が描かれている。
よく知られている「牡丹」とはまた違って、「山にいる鯨」とは、うまいことをいうものだとつくづく感心してしまう。
昨年の猟期(兵庫県の猪と鹿の猟期:11/15~3/15まで)は、豊岡や姫路ほか兵庫の山の鯨を解体し、大きな肉塊を網で囲った自家製箱に吊るして熟成させ、牡丹鍋以外にも岩塩とブラックペッパーで炙り焼き、赤ワイン煮込み、トマト煮込み猪パスタ、カレー、おでん、ドテ焼き、カツレツ、燻製などなど、ほぼ毎日、「猪喰った、ぬくすぎる!」の状態になっていたのだった。
歳時記×食文化研究所
北野智子