万葉人が愛した梅
新元号「令和」の典拠となった万葉集 巻五「梅花三十二首」序文は、
「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」―天平二年(七三〇年)、大宰府に赴任していた大伴旅人が正月十三日に、梅を愛でる宴を催した際に詠まれたもの。
万葉集に登場する花の中で、萩に次いで多いのが梅の花。萩の歌は上流階級から庶民まで広く詠まれているのに対し、梅の歌を詠んでいるのは上流階級に限られている。現在では花見といえば桜だが、万葉の時代、上流階級の花見の主役は梅で、令和の典拠にもなったような観梅の宴が開かれていた。
日本ならではの風情ある梅暦
昔から梅の開花から実が色づき熟すまでの季節の移ろいを知る「梅暦」という暦があった。まずは、梅が咲き始める月は「梅初月」。旧暦十二月(新暦一月)の別称でもある。
梅は、早春にいち早く春の到来を告げて咲くことから、「春告草」とも呼ばれる。
次に、梅見をする旧暦二月は「梅見月」、「梅色月」(旧暦五月)、そして梅雨の時季に入る目安とされる「入梅」(六月)。
このように日本人は、寒さの中に凛と咲く梅を愛でつつ春を待ちわび、雨の季節を迎え、夏の到来を知ったのだ。なんという風情のある暦だろうか。
梅しごと進行中
六月は梅の実が熟す頃に降る「梅雨」入りの時季で、その実が黄色くなる頃に降る雨は、「黄梅雨(きづゆ)」と呼ばれる。
近年のゲリラ豪雨とは異なり、古来雨は日本に潤いの恵みをもたらしてきた。ゆえにさまざまな梅雨の雨の呼び名がある。「走り梅雨」(梅雨入り前のぐずついた天気)、「青梅雨」(新緑に降りそそぐ雨)、「梅雨晴れ」(梅雨どきの晴れ間)、「送り梅雨」(梅雨明けに降る雨)などなど。
さて梅雨の時季のお楽しみといえば、芳しい梅の香に酔いながら、月初めの青梅で梅酒づくり、月半ばの完熟梅で梅干づくりの「梅しごと」だ。
すでに先週、清々しい香りを放つ和歌山県の大きな南高梅の青梅で梅酒を仕込んだ。
私の梅酒はウォッカかラムで漬ける。美味しすぎてあっと言う間に飲んでしまうので、たっぷりと仕込んでおく。
あとは黄色く熟した梅のお出ましを待っての梅干づくりだ。土用干しを経て漬け込んだ自家製梅干がいい塩梅に出来上がるのは十二月頃。ゆえに梅暦は新暦一月から始まり、十二月で終わるという、とても理にかなった暦だと感心しながら、残りわずかになった昨年漬けた梅酒ウォッカのロックを、チビチビ飲る今日この頃である。
歳時記×食文化研究所
北野 智子