次々にやって来る台風の大きな被害などもあり、今年は秋を感じるどころではなかった10月。月も替わり、ようやく本格的な秋の気配が立ち込めてきた今日この頃、しみじみと味わいたいのが、過ぎて行った夏の「名残り」の味、いわば、去りゆく季節の味わいだ。それに反して到来した新しい季節の味を「走り」と呼んできた。この時季は、名残りと走りの味が交錯する食いしん坊には嬉しい季節である。
秋の風物詩「ハモマツ」
この時季の代表的料理といえば、「ハモマツ」と呼ばれる名残りの鱧と走りの松茸が出合う「土瓶蒸し」。割烹や料亭などでは必ずといってもよいほど用意されているこの料理は、本当に美味しくて、何といってもお出汁が絶品だ。白木のカウンターで自分の前に土瓶が置かれた瞬間、「すうぅ~~~」っと吸い込んだ香りだけで、日本酒が飲めるほど芳しい香りだ。
まずはおもむろに土瓶を傾けて杯にお出汁を注ぎ、そっと口をつける…しぃ~ん。
鼻腔と喉越しには、走りの松茸の香りと名残りの鱧のコク、それらの香味をたたえた上品なお出汁の美味。しばしその香と味に酔いしれた後、パカッと土瓶の蓋を開けて、松茸をクキュクキュ、鱧をホロホロと味わったら、またお出汁をコクリ。次いでこちらもこの時季にしか味わえない、純米ひやおろしをいただく。ああ、このループを永遠に続けていたいと願わずにはいられない。
夏が旬の鱧だが、秋の鱧は脂がのってきて、淡味にコクが出てくる。鱧好きの大阪人は昔から夏はもちろん、菊の香る頃の秋鱧も好んだそう。去りゆく季節が別れを告げる美味、「名残りの味」。なんという風情のある呼び名だろうか。
今は昔の松茸狩り
昨今はぶどう狩りやきのこ狩り、栗拾いなど、自然の中で季節の果実を収穫して味わえる「〇〇狩り」は大人気だが、さすがに耳にしないのが「松茸狩り」。
そもそも国産の松茸は希少中の希少かつ超高価で、おいそれと「狩れる」ものではないのだ。
ちなみに10月初め、丹波篠山市場に初入荷した丹波松茸1箱(7本/190g)がなんと、105万円で競り落とされた。ご祝儀相場とはいえ落札価格は過去最高ではないかということ。競り落としたのは丹波篠山の有名な老舗旅館・近又で、土瓶蒸しなどに用いると言う―と新聞に載っていた。
ははぁ~ん、やっぱり「土瓶蒸し」だな…明治の元勲・木戸孝允も宿泊した料理旅館(ぼたん鍋考案者としても有名)の土瓶蒸しを食してみたいものだと、涎を垂らしながら記事を読んだ。
昔から松茸は京坂で多く穫れ、関東はほとんど出回らなかったので、江戸では恐ろしく高値だったとか。『日本山海名物図絵』には、大坂の松茸市の様子について、「松茸の頃 殊に賑わし 松茸市は夜なれば松明をとぼして商う 摂州能勢、勝尾等の山々よりおびただしく出ず 又丹波より多く来る…」とある。
『日本の食文化年表』(江原絢子・東四柳祥子編/吉川弘文館)によると、「松茸」が現れる一番古い文献は、『徒然草』(1330年頃成立)で、「鯉は重んずべき魚、雉、松茸も並ぶもののない食品」とあるとか。
また、京都の公卿・山科言継(ときつぐ)の日記『言継卿記(1507~79年)』には、1533年に、「言継が近江の知人の山にきのこ狩りに出かけて、松茸150~60本を収穫する」とある。この公卿は、鳥と鯨の吸い物で酒宴を催したり、名門公卿仲間で集まっては鶴汁や雁汁に舌鼓を打ったりと、風流で食いしん坊な人である。
さて言継卿、大量に収穫した松茸、いったいどのように食べたのかが興味あるところだ。
余談であるが、大阪人は松茸を、「マツタケ」とは言わず、「マッタケ」と言う。もちろん大阪の我が家でもそうであった。これは、「洗濯機」を「センタクキ」ではなく、「センタッキ」というのと同じである。理由はわからないが、大阪弁の特徴であろう。「マッタケ」と言うと、聞こえだけでもなんとなく親しみを覚えるから不思議だ。
歳時記×食文化研究所
北野智子