ショッキングなニュースが目に飛び込んできた。
朝日新聞大阪版5月23日夕刊のトップ面に、なんと大阪名物の鯨ハリハリ鍋の老舗・徳家が同25日をもって半世紀の店の歴史に幕を下ろすというのだ。ああ、大阪の名店がまた一つ消えてゆくのか…、の思い。
幼少期の鯨との出合い
鯨の話の前に、少々自身のことを語らせていただくと――
幼い頃から私の食嗜好はオマセであり、酒肴(つまり「アテ」)に目が無く、食い意地が張っている大きな理由は、私の生家にあるのだろうと思う。
私の父は、大阪市内で海産物問屋(時代劇が好きなこともあり、この言い方が気に入っているが、要は海産物専門の食料品店)を商っていた。
顧客は朝の早い時間にはレストランや和食店、中華料理店、社員食堂などのオーナーやコックさんが食材を仕入れに来る。それが引けたら、老若の奥さま方がまちまちの時間に今日の料理食材を買いに来る、という店であった。
子どもの頃は、街の商売をしている家に生まれたのが嫌だったし、シャッターでない玄関や、“サラリーマンの家庭”に憧れていた。けれど、食べものにかけては恵まれているなと幼心に思ってもいた。それは実家が裕福だったというのではなく、食べものの商いをしているから、食べることには贅沢だったし、あまり子どもが食べない美味・珍味との出合いがあったからだ。
私の味覚形成に大きな影響を与えた人たちは、父母と母方の祖父である。
私はお酒が大好きであるが、和酒に合う珍味の味わいは父から、洋酒に合うおつまみの旨さは祖父から教わった。
この祖父はその昔、京都の洋食屋のボンボンで、亡くなる直前まで、朝食はホワイトボンレスハムのサンドイッチとコーヒーという人であった。
母は家庭料理をはじめ、広く食について教えてくれた。現在食に関わる仕事をしている私にとって、こうした巡り合わせに、今は心から感謝している。
今回のテーマの「鯨」も、そうした背景がなければ、給食に鯨が出てきた世代ではない私が、ここまで鯨好きにはならなかったと思う。
鯨三昧の日々
父は鯨好きだったこともあり、毎朝仕入れに通う大阪中央卸売市場で買い付ける食材の中でも、鯨には特に力を入れており、尾の身や鹿の子、赤身、ベーコン、コロ、おばけ(さらしくじら)などいろいろな部位を販売していた。
それぞれを説明すると、
尾の身は背中側の脂が霜降り状になった部分で、鯨肉の中で最も美味なところとされ、刺身で食べると絶品。
鹿の子はあご周りの部分で、脂肪の中に赤い肉が鹿の子状に入っており、薄くスライスしてすき焼きや鍋にすると、その旨みに言葉を失う。
鯨の大部分を占める赤身の、鮮度のよい上物は刺身も良く、ステーキ、カツ、竜田揚げ、しぐれ煮にしても美味しい。
ベーコンは畝須(うねす)を加工したもので、畝須とは下あごからヘソの手前までの縦に走る白い部分の畝と、内側の赤い部分の須の子、この二つが一緒になったもの。ゆえに美しい白と赤のコントラストを持っているこの鯨ベーコンは、じっくり味わいたい酒の友である。今では飲食店の品書きに鯨ベーコンがあるのは珍しいが(大阪の古い立ち呑み屋に供されていることもある)、あったとしても極めて薄いベーコンを細切りにしたもので、厚みのあるプチ食パン形の一枚もののベーコンは、あはは、夢のような話である。
コロは鯨の皮を油で揚げたもので、大阪では関東煮に欠かせないものだった。
おばけは「尾羽毛」と書き、尾羽という尾の部分で、薄くスライスされ茹でられた姿は真っ白でチリチリと縮こまっている。氷の上に盛り付けたおばけに酢味噌をつけて食べると、特に夏場は堪えられない味わいだ。
他にも「本皮(ほんがわ/腹側の白い皮)」「脂須の子(手羽の根本の部分)」「さえずり(舌)」「百尋(ひゃくひろ/小腸)」「まめわた(腎臓)」「たま(睾丸)」「かぶら骨(あご骨の中の軟骨)」ほかがある。
その影響もあり、私も小さい頃から鯨が好きで、その頃の実家では普通に、尾の身は刺身で、鹿の子はすき焼きで、赤身はカレー粉や黒胡椒をかけたステーキやカツ、生姜煮、コロは関東煮にはもちろん、大根や青菜と炊いて、おばけは幼稚園児にもかかわらず自分で作った酢味噌をつけて、夏場にはほぼ毎日食べていたと思う(よくもまあ、お酒を飲まずに食べられたものだ)。
1980年代以降の捕鯨規制下における現在の鯨肉状況から思えば、こんな鯨三昧の日々はとても信じられないことである。(続く)
歳時記×食文化研究所
北野 智子