夏バテ防止とコロナ太り対策のため、せっせと「冷や汁」を作っては、その美味に唸っている日々。そんな中、私の懐かしフード好きマインドをポチポチと刺激してくるものがある。なんだ?と思いつつ、やり過ごしていたが、ハタとわかった。それはVOL.71の原稿で、『「冷や汁」にはいろいろな呼び名があり、「ひやしじる」に「ひやしつゆ」…』などと打っていたため、無意識下で、「ひやし」という言葉が付く私の好物を思い出そうとしていたのだ。
関西の夏に欠かせない飲み物
それは、大阪の夏といえばコレ! と、大好きだった「ひやしあめ」。いや、大阪のおばちゃんがバッグに忍ばせていることで有名な「あめちゃん(飴玉のこと)」を冷やしたものではない。関西の人なら誰もが懐かしく思う夏の飲み物で、私もおチビの頃にはガブ飲みしていた。どのようなものかを一言でいうと、麦芽水飴をお湯で溶き、生姜の搾り汁やおろし生姜を加えて冷やした飲料である。
キンキンに冷えた「ひやしあめ」は、淡い琥珀色で、柔らかくほのかな甘みとひなびた香り、爽やかな生姜の香味…それらをひっくるめて、「懐かしい味」と表現する以外にはなく、飲むとす~っと汗が引いていくから不思議だ。
その昔は温かかった「ひやしあめ」
「ひやしあめ」とは、元は温かい「飴湯」のこと。古くから大坂で飲まれていたことがわかるのが、幕末に刊行されたという画帖『花の下影』(作者不詳)。「心斎橋台 飴湯」という題で(「橋台」とは橋のたもとに広がる空き地のこと)、心斎橋のたもとの飴湯屋台で、床几に腰を掛けた客が飴湯をすすっている風景が描かれている。
この楽しい画帖は、江戸末期の食いだおれ大坂の食べもの屋とその諸相を全316図、軽妙な筆致で色彩豊かに描いた、「幕末 浪速のうまいもん案内」ともいうべきもの。
当時の大坂では、夏場の暑気払いとして温かい「あめ湯」が飲まれていたのだ。
明治時代になり、製氷技術が発達したことで、冷やして飲まれるようになり、「ひやしあめ」が誕生したようだ。この頃から大正時代にかけて「ひやしあめ」は、関東や東海地方でも飲まれていたようだが、太平洋戦争でほとんどの製造業者は廃業したといわれている。空襲被害が軽かった京都や奈良で製造が続けられ、関西におけるひやしあめ文化が形成されていったそうだ。
もちろん今ではネットの取り寄せがあり、全国津々浦々で飲むことができるので、まだ飲まれたことが無い方には、ぜひおすすめしたい。
「ひやしあめ」には人それぞれの思い出
ひと口飲めば、関西人ならそれぞれの思い出に胸がキュンとなるであろう、「ひやしあめ」。私の思い出は幼稚園児の夏。実家の建て替えのため、毎日、渋紙のように日焼けした老棟梁が、配下の大工さんたちを引き連れて現場に来ていた。暑い中、作業をする彼らのために、毎朝父が、大きなやかんに「ひやしあめ」をたっぷり作り、店の大きな冷蔵庫で冷やしておいて彼らに振る舞うのだ。
親に言えばひやしあめなどすぐにもらえるのに、なぜか私には、この大やかんに冷やされた「ひやしあめ」がことのほか美味しそうに思えた。こっそりと飲んでいたところ、工事のため置いてあった木材につまずいて、やかんをぶちまけてしまった。あろうことかそのまま脱兎のごとく逃げ出し、夕方になって家に戻ると、やかんをひっくり返した犯人は、当時飼っていた猫となっていた。タマ、ごめんね!
今でも「ひやしあめ」を飲むと、幼かったあの日を思い出して、一人笑ってしまう。
歳時記×食文化研究所
北野智子