【歴メシを愉しむ(64)】
梅雨の涼味~黒蜜か、酢醤油か? ところてん

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.07.04

梅雨の晴れ間、散歩を兼ねて近所のスーパーに買い物に行ったところ、マスク装着で汗ダラダラの私を入口近くで手招きするものがある。よく見ると、それは夏の冷やしおやつの定番「ところてん」であった。やあ嬉し!と買い求め、帰宅後早速冷たい麦茶と食べようと思ったら、なんと酢醤油付きのところてんだった!ああ、残念無念、この味付けでは、私はところてんを食べることができない。

 

ところてんは関西は黒蜜、関東では酢醤油

と、ここまで読んで、関西以外の人は、「何が残念無念で、何故食べられないのだ?」と不思議に思われるかもしれない。関東(おそらく全国的にも)では、ところてんに酢醤油と芥子で食べるが、関西ではところてんには黒蜜と決まっている。今まで、関西人で酢醤油をかけてところてんを食べる人を見たことがない。ゆえに買ってきたところてんは一旦冷蔵庫に入れ、汗を拭き拭き、ストックしている黒砂糖をすり鉢で粉にして、水と一緒に鍋に入れて煮た後、冷やして自家製黒蜜を作り終えるという作業が完了した頃には、暑さ倍増で疲れてしまったのだった。

かつて東京の友人と ところてん談義をした時、食べ方の違いに驚いたものだ。友人によると、酢醤油、芥子醤油は当然ながら、鰹出汁と酢を加えたつゆに海苔を添えて出す店まであるという。常々その土地の食文化を尊重し、食べ方についても、「郷に入れば郷に従え」を鉄則としてきた私、敢然と酢醤油芥子添えところてんにも向き合ったが、これだけは無理だった。それは、目玉焼きに醤油かソースか、稲荷ずしは三角形か四角形か、などというカワユイ(?)問題ではなく、ここまでの味の違い、いや ところてんの立ち位置ともいうべきものが違い過ぎるのである。

関西ではところてんは甘味おやつのポジションだが、関東では惣菜的に扱われているのか、あるいは焼き餅に醤油をかけて海苔を巻いた「磯部巻き」同様に、甘くないのになぜか甘味処で欠かせない一品なのであろうか。

 

訛り訛って「ところてん」に

漢字で「心太」と書く「ところてん」の和名は「凝海藻(こるもは)」で、また、「こごろも」ともいうのは、煮ると凝(こご)るからとか。この「コゴロモ」を「ココロブト」と訛って、「心太」の二字を用いたそうで、この字は奈良時代から使われており、『正倉院文書』にも見られるという。時代が下るにつれ、「ココロブト」を訛って「ココロテイ」、さらに訛って「ココロテン」、これがまたまた訛って、江戸時代には「トコロテン」となったというから、一体何度訛るのだ?と、面白い。

 

江戸時代には違っていた 江戸と京坂のところてんの味

海に囲まれた日本列島は、海藻という特殊な食材に恵まれてきた。ところてんは、てんぐさという海藻を煮溶かした液を冷やし凝固させた日本固有の食品で、古く奈良時代にはすでに食べられていた。諸国に国分寺を創建した聖武天皇は、経典の写経に従事させる学生に配った食品の中に、「心太」があったことが、『正倉院文書』にも残っている。

平安時代には、夏の暑気払いに嬉しい間食として人気を集め、平安京の東西の市でも売られていたそう。室町時代には、ところてんをところてん突きで糸状にして食べることが行われていたようで、江戸時代になると、町には出商いのところてん売りが出て、夏の風物詩となっていた。江戸の風俗を記した『守貞謾稿』(1853年/嘉永6)によると、「ところてん売りは三都(江戸・京坂)とも夏に売りに来て、一個一文で、江戸では砂糖や醤油をかけて食べるが、京坂では醤油は使わない。」とある。どうやら江戸時代にはすでに関東は醤油派、関西は砂糖派になっていたようだ。

元禄時代に松尾芭蕉が京都嵯峨の清滝で詠んだ、「清滝の水汲みよせてところてん」~清滝川の清流を汲み寄せて冷やしただけに、ところてんが実に冷たくて旨い~という、すぐにでもところてんが食べたくなるような句がある。

この時、芭蕉翁はところてんに何をかけて食べたのだろう?京都だから当然砂糖だろうか?翁の生まれは三重県伊賀市。ひょっとして醤油をかけたのか?…とても気になり、思いを巡らせるのがまた楽しい。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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編集部
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