【歴メシを愉しむ(58)】
時代劇が似合う鮎

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.05.31

一気に初夏モードに突入した感があるこの頃。生来の暑がりのため、これからの季節、マスクによる顔面下半分の暑さをどうしようか…と、いまいましく思っていたところ、キツめのミントキャンディを舐めて、ス~ハ~ッと深呼吸を繰り返し、口中に冷涼な風を貯めることを思い付いた。もちろんこれは熱中症対策にあらず、あくまで気分的なものだが、今言われるニューノーマルとやらの私の新習慣になりそうである。

 

口中を涼やかにしてくれる魚とは

ミントキャンディとは全く世界が違うが、この時節、口中を涼やかな心地にしてくれる食材がある。それはこれから旬を迎える鮎。

「え~っ、鮎ぅ~?」と思われるかもしれないが、天然の鮎は「香魚」とも呼ばれ、胡瓜や西瓜のような何ともいえない清々しい香気を持っている。その理由は、鮎は稚魚の頃を過ぎると清流の川藻だけを食べて成長するからだ。その香気といい、容姿端麗なる姿といい、淡泊な味わいの中に、品のある脂も備えている この美しい鮎は、いかにも清流に似合う、初夏の今、食べたい魚である。

 

幽玄の世界へ誘う鮎

日本特産の川魚である鮎は古くから日本を代表した魚であった。その昔は朝廷に「馴れずし」として献上され、万葉集や俳句にも詠まれてきた。

魚偏に「占」の字の由来は、神功皇后が鮎を釣って戦の勝利を占ったとの記述が『日本書紀』にあることから、「鮎」となったという。また走りの稚魚に始まり、夏の盛りの若鮎、川を下る子持ちの落ち鮎、名残りの錆鮎まで、一年で一生を終える年魚であることも、日本人の心に儚く映るのだろう。

鮎の季節になると思い出すのが、ずいぶん前に見た岐阜県長良川の鵜飼の風景。美濃の国の鵜飼はおよそ1300年以上もの歴史があるという。戦国時代に織田信長は鵜匠を保護し、後に大坂夏の陣の帰途に岐阜へ逗留した徳川家康・秀忠親子は鵜飼を見物したという。その際、家康は食した鮎鮨を気に入り、何度も所望したと伝わっている。鵜飼は幕府直轄となり、鮎は将軍家へ献上されていたそうだ。

さて鵜飼だが、辺りが暗くなってきた頃、鵜舟がすすっ~と川を進んで来ると、どこぞから謡曲が流れ、煌々と燃えるかがり火が真っ暗な川面にゆらゆら映る中を、風折烏帽子に腰蓑という古式の装束をまとった鵜匠の、かけ声と手綱さばきに操られた鵜が川の中へ潜ったり浮かび上がったりする様は、何百年も前にタイムスリップしたような感覚と、おどろおどろしい気に満ち溢れて、まさに幽玄の世界。芭蕉翁が詠んだ「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」の句そのものの景色である。

ふと目を上にやれば、金華山の頂にライトアップされた岐阜城が浮かび、それは一種異様な光景で、天守閣から織田信長が下界を見下ろしているような錯覚にとらわれたことを、今でも心に深く残っている。

肝心の鮎は、鵜飼見学の船で食すのはあまりにイベントっぽいのでやめて、地元で名高い鮎の専門店で、じっくりと焼かれた美しい鮎の塩焼きを岐阜の地酒と堪能したのであった。

毎年5月11日に迎える長良川の鵜飼開きは、残念ながら現状況の下、見合わせられているが、10月15日までの期間中には是非とも美しい幽玄の世界を見せてほしいものだ。

 

時代劇言葉で食べるとさらに美味しくなる

都会では天然の鮎にはなかなかお目にかかれないのが残念だが、養殖の鮎とて独特の旨みは味わえる。鮎は何といっても塩焼きが一番で、ふっくら焼きたてのアツアツを頭から丸ごとかぶって食べるのが、真の鮎食いの食い方とされている。

「ささ、暑くなってきたが、ひとつ清流の香魚と冷や酒で口中涼やかになろうじゃないかえ。」などと言いながら、池波正太郎の時代劇中人物の一人になって、香ばしさと淡味とわたのほろ苦さの妙味を存分に味わおう。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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編集部
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