一月十五日は「小正月」。かつて一月一日は「大正月」「男の正月」と呼ばれており、それに対して、この日は「小正月」「女の正月」と呼ばれている。
小正月の行事食は無病息災を願う「小豆粥」
小正月の行事は、農耕と深い関わりがあり、田畑を荒らす鳥を追い払うため、鳥追い唄を歌いながら地面を叩いて歩く「鳥追い」や、農具や鍋釜などの道具を並べて、餅などの供え物をする「道具の年取り」という習わしなどがある。木の枝に小さく丸めた紅白の餅を花のようにさして作る可愛い餅花は、豊作を願って各家で作られる飾りものだ。
行事食は「小豆粥」で、別名「十五日粥」、また十五日は旧暦では満月(=望月)にあたることから、「望粥(もちがゆ)」とも呼ばれている。小正月を祝って神さまに供え、皆で食べた。赤い色が邪気を祓うとされている小豆を入れて粥を炊き、一年間の無病息災を願っていただく。
注連縄ほか正月の飾り物を燃やす左義長・どんど焼きは、小正月の前日に行われる火祭りで、昔はこの火を使って小豆粥を炊いていたそうだ。
また小正月は、正月準備を始める師走の事始めから正月が終わるまで忙しく働き続けた主婦を労うために、家々に女の人だけが集まり、小豆粥を楽しむ風習があったことから、「女正月」といわれている。
粥は占いにもなっていた
昔から日本には、「粥占(かゆうら)」という、粥で行う占いがあった。小正月の伝承では、小豆粥を炊く時は粥杖(かゆづえ)と呼ばれる棒でかき混ぜるのだそうで、平安時代から使われている神事の道具といわれている。粥の木、祝い木、祝い棒ともいうらしい。粥杖の先端は管になっていて、この中に入った粥粒の数によって、その年の作物の豊凶を占ったのだという。
また、この粥杖で果樹をたたくことを「成木(なりき)責め」といい、果実がたわわに実ることを願ったりもしたとか。このことから、殿中で女御の腰を粥杖で叩くと子宝や男児に恵まれるという俗信が生まれ、平安時代から行われたことが『枕草子』などにも記されている。こうしてみると初めは地味に思えた粥杖だが、まるで魔法使いが持つ杖のような存在だったようで愉快ではないか。
「小正月」の「こしょう」に洒落て「胡椒飯」も楽しんでは
小豆粥は塩を加えて味付けするのが一般的だが、地方によっては白砂糖をふりかけて食べるところもあったという。これは甘党には嬉しい粥である。思うに、塩味であってもお酒の後に小豆粥というのもなかなか手が伸びないという人もあるかもしれない。そこで、「小正月」と同じ「こしょう」名称に洒落て「胡椒飯」を作ってはどうだろうかと思い付いた。これならお酒のシメに左党も喜ぶ一品にもなるだろう。
胡椒は歴メシとしてなかなか面白いものがあり、なんと江戸時代にはうどんの薬味に、汁物の吸い口にも盛んに使われていたのだ。日本に胡椒が入ってきたのは、8世紀半ばに鑑真が中国から持ち帰ったという説があり、東大寺の正倉院の聖武天皇遺宝には胡椒の実が現存するそうだ。胡椒は、15世紀からヨーロッパの大航海時代を引き起こすきっかけとなった代表的な商品で、日本にキリスト教の布教にやって来たフランシスコ・ザビエルも滞在費を捻出するために大量の胡椒を持参していたという説もある。
さて、その胡椒飯であるが、江戸時代に出版された『料理珍味集』や『名阪部類』に載っている作り方をごく簡単に説明すると、「米と一緒に胡椒を入れて炊き上げたご飯に、醤油で味を調えた鰹出汁をかけて食べる」とある。またお好みで、「吸い口には大根おろし、陳皮、唐辛子、山葵」が列記されている。
ぜひ小正月に試してみられてはいかが。
歳時記×食文化研究所
北野智子