【歴メシを愉しむ(12)】
嘉祥~6月16日は和菓子の日

カテゴリー:食情報 投稿日:2019.06.16

うやうやしく菓子を頂戴する大名たち

旧暦6月16日は、「嘉祥(かじょう)」といわれ、この日、神さまに和菓子をお供えし、招福厄除けを祈願して、それをいただく「嘉祥喰い」という習わしがあった。

由来には諸説あるが、嘉祥元年(848年)のこの日、仁明天皇が16個の菓子を神前に供えて疫病退散と招福健康を祈願したことに由来し、後に宮中行事として伝えられたとか。

この風習は、江戸時代になると盛大に行われたようで、この日は江戸城に大名や旗本が登城して、将軍から菓子を賜る「嘉祥頂戴」と呼ばれる行事になった。

「七嘉祥」といわれ、七種の菓子が配られたそうで、裃(かみしも)を着けた貫禄たっぷりの大名たちが童のごとく菓子をもらうとは、なんとも微笑ましいではないか。

庶民の間でも、この日に16文で16個の餅や菓子を買って、黙って食べる風習があったそうだ。とはいえ16個もの餅や菓子を終始無言で食べ通すのは、かなり辛いものがあったのではないかと思う。

 

「和菓子の日」誕生

明治時代になり、嘉祥の風習は廃れたが、1979年に全国和菓子協会が6月16日を「和菓子の日」として設定、再び復活させた。

現在 老舗菓子舗や行事・歳時記を大切にした菓子づくりをしている和菓子店などでは、「嘉祥菓子」や「嘉祥饅頭」などを販売している。老舗虎屋の嘉祥菓子は、江戸時代末期に宮中に納めた嘉祥菓子をもとにした七種盛りで、さすがに歴史を感じさせてくれるものだ。

「和菓子の日」は、和菓子の昔ながらの風習や歴史を知り、和菓子に親しむとてもよい機会であると思う。

 

大阪人の夏の風物詩「わらび餅」

和菓子に親しむ機会といえば、実家の近所に和菓子屋さんがあったせいか、幼い頃は今よりもっと日常的に和菓子を食べていた。みたらし団子、あんころ餅、最中、桃山、羊羹、羽二重餅、栗饅頭、白玉、みつ豆…挙げればきりがないが、中でもトップは断然わらび餅だった。現在でもわらび餅は大好物で、6月から俄然 登場回数が増える。わらび餅は嘉祥菓子とはフィールドが異なる、庶民派の代表格のような和菓子である。

面白いことにわらび餅は西高東低の和菓子で、夏の甘味は、東京はくず餅派、関西はわらび餅派であろう。かつて東京の友人が来阪した折、わらび餅にきな粉と砂糖だけをかける大阪方式に驚いていた。東京では必ず黒蜜がついているので、どろっとした状態でないわらび餅を食べたのは初めてだったそうだ。それを聞いて、きな粉はわらび餅のためにあると思っている大阪人の私も驚いたものだ。

最近では減ってしまったものの、夏になると大阪では、わらび餅を車に積んだ“わらび餅カー”が街を流しており、遠くからお決まりのセールストーク、「わぁ~らびぃ~もち、わぁ~らびぃ~もち、甘くて美味しいわらびもち!」が聞こえてくると、何もかも放り出して買いに走るのだ。それほど大阪では、わらび餅の存在は浸透していて、夏の風物詩なのである。

 

なんと「わらび餅」は「太夫」格であった

わらび餅の歴史は古く、足利から江戸期にかけて流行した餅菓子ともいわれている。わらび餅は庶民派の代表格のような和菓子―と書いたが、実はわらび餅は高貴な菓子だったという驚くべき歴史があった。

なんと醍醐天皇の好物で、「太夫」の名を与えられたと伝わっているのだ。しかもその謂われから、狂言『岡太夫』に登場する和菓子なのである。

考えてみると、わらび餅というからには、蕨粉(わらびこ)を使っていると思ってしまうが、今や蕨粉は貴重かつ超高価な品で、甘藷澱粉を使って作っていることが多い。また蕨粉を作るためには大変に手間がかかり、生産量が少なく希少なものとなってしまった。きっと醍醐天皇の御代のわらび餅は、貴重な真の蕨粉が100%使われていたのではあるまいか。

 

いや、蕨粉製でなくてもいい。我が愛するわらび餅のぷるんぷるんの舌触り、冷んやりとした喉越し、香ばしすぎるきな粉の風味…どこか懐かしい味わいに心の奥まで満たされる。

さて、この夏も風鈴の音を聴きながら、“わらび餅太夫さま”をいただきまする~。

歳時記×食文化研究所

北野 智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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