【歴メシを愉しむ(100)】100回記念はバウムクーヘンにあやかって

カテゴリー:食情報 投稿日:2021.03.14

『歴メシを愉しむ』は、今回で100回目を迎え、長く お相手いただいてきた方々に、改めて「ありがとうございます!」と、お礼申し上げたい。

100回目のテーマを考えていたら、ふと、100年前の日本には、どんな食べものにスポットが当たっていたのだろう?と思い、食の歴史書を紐解いてみることにした。

 

100年前の日本に登場していた食べものとは

取り出したのは愛読書『日本の食文化年表』(江原絢子・東四柳祥子編)。

この本は日本列島に人々が暮らし始めた4万年近く前から2000年までの長い歴史における食の営みをとらえるために、専門書・企業史・新聞ほかに取り上げられてきた膨大な数の記事を、年表にまとめた壮大な史書である。

今から100年前の1921(大正10)年のページを開いてみたところ、「中田寅次郎 東京神田須田町にて、ウサギ肉専門料理店開業」や、「陸軍、週に1回、1食のパン食開始」などと、いかにも当時を思わせる記事が見える。

そのほか主だった記事を挙げて見ると―

「森永製菓 粉乳(ドライミルク)発売」「鳥井信治郎 寿屋(現在のサントリー)設立」「高野吉太郎(新宿高野の創業者) 東京新宿にて、果実・缶詰等を扱う.フルーツパーラーの前身・縁台サービスも開始」「極東煉乳(現在の明治) 極東アイスクリーム、明治メリーミルク(煉乳)発売」「江崎利一、栄養菓子<グリコ>を創製」などなど、この年には、現在も健在する大企業が設立されたり、画期的な新製品が発売されたりしている。

 

100年前 日本に現れたバウムクーヘン

その中で私が注目したのが、幼い頃から大好きなバウムクーヘンの記事で、「この年、ドイツ人ユーハイム夫妻、日本を永住の地と定め、横浜に会社設立.翌年3月、日本における1号店開設」とある。

かつてユーハイム本店には、仕事で取材に訪れたことがあり、思い出深いものがある。

ドイツの伝統菓子・バウムクーヘンは、ドイツ語で「木のケーキ」を意味するが、その昔 この菓子を焼く時に生地を巻きつける芯棒が樫の木だったからといわれている。

日本で初めてバウムクーヘンを焼いたドイツ人のカール・ユーハイムは、ドイツの租借地だった中国・青島(チンタオ)へ渡り、念願の菓子屋を開くが、第一次大戦捕虜として日本に連行されて、広島へ。広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)で開催された「ドイツ俘虜(ふりょ/捕虜のこと)技術工芸展覧会」で、日本で初めてバウムクーヘンを焼き、大好評を得たという。

そして、1921(大正10)年、日本の横浜で会社を設立に至る。翌年にはユーハイムを開店して大繁盛となるが、不幸にもその翌年の1923年に起こった関東大震災で全壊してしまう。同じ年、避難先の神戸で再び菓子屋を開き、ここでもバウムクーヘンは人々を虜にした、という壮大な物語だ。

以降ほぼ100年の間、ドイツ菓子・バウムクーヘンの人気は不動で、今ではすっかり日本の定番菓子となったのである。

幼い頃から母とよくお出かけした神戸元町で、異人館や旧居留地を巡った後に寄ったユーハイム本店。家の近所にある洋菓子店とは別世界のような店内で、生クリームがかかったバウムクーヘンを食べることは、お洒落で、優越感すら覚えたオシャマなおチビであった。さらに家で食べるための一箱を買ってもらうのも忘れなかった。

「木の年輪」に見えることから、「長寿と繁栄の象徴」として、昔は祝い事に欠かせないお菓子だったというバウムクーヘンを、切っては食べ、食べては切る…を繰り返しながら、この『歴メシを愉しむ』コラムも年輪を重ねていきたいと思うのであった。

歳時記×食文化研究所

北野 智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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