【歴メシを愉しむ(8)】
懐かしのカリー

カテゴリー:食情報 投稿日:2019.06.01

「カレー」ではない、「カリー」の衝撃

現在オンエア中のNHK朝の連続ドラマ『なつぞら』で、少し前、ヒロインが母親と一緒に北海道から実兄を捜しに東京・新宿に出てきた時、お世話になる店が川村屋というレストランの設定で、これは新宿中村屋のことだと、あるシーンを観てすぐにわかった。

店の支配人が、ヒロインと母親に、店で供する自慢の「バターチキンカリー」を出すのだが、2人が、「カレー」ではなく、「カリー」という発音にとまどうシーンに、突然数十年も前の記憶が甦ってきたのだ。

私が幼稚園児だった頃、母と2人で、心斎橋へお出かけした際(その頃の心斎橋は大人が遊ぶお洒落な町で、当時、心斎橋へのお出かけは“心ブラ”と呼ばれていた。もうすっかり町は変わってしまったが…)、心斎橋筋に面したビルにあった新宿中村屋のレストランでランチをすることになり、「インドカレー」を頼んだ。

注文を告げた母に、ウェイトレスさんが、「カリーでございますね?」と確認をしたのだ。

母と私は一瞬、「は?」という感じで目を合わせたと思うが、即座に母は、「え?カレーね!」と念押しをした。その懐かしいシーンと同じやり取りが、TVドラマの中で描かれており、おかしくて一人で笑ってしまった。

さて、その「カリー」なるものは、アラジンの魔法のランプのような形の銀色のポット(グレイビーボートというのだと後年知った)に入れられ、白い皿に平たく盛り付けたライスと一緒に運ばれてきた。アラジンのランプから変形スプーン(こちらも後年知ったが、グレイビーレードル)でうやうやしく「カリー」を掬い、そろりとライスにかけたのだが、そこでまた驚いたことに、「カリー」の中にはゴロンと大きな骨付きチキン以外の具材が一切なく、おチビ心に、「ポタージュスープのカレー版みたい…」と思ったものだ。

母が作る「カレー」は、大きめの角切り牛肉に玉ねぎ、じゃが芋、人参がたっぷり入っているのに、白いテーブルクロスもまぶしい高級レストランのカレーの具材がチキンだけとは…とふくれっ面一歩手前で一口食べてみると、幼稚園児にも衝撃を与える美味しさであった。

ふくらませかけた頬をすっかり緩ませ、「う~む、やはり“カレー”ではなく、“カリー”だから、別の食べものなのだな」と思ったものだ。いや、決して母メイドの我が家のカレーがまずかったのではない。何というか、初めて出合ったスパイスがもたらす得も言われぬ複雑な香りと深い旨みが別モノと思わせたのだろう。

 

カレーの牛肉をアテに飲む大阪人の父

別モノに思った理由は他にもあり、大阪人なので、カレーに入れる肉は牛肉と決まっており、それ以外の肉を使ったカレーを食べるのが初体験だったこともある。

そういえば思い出したが、私の父は夕飯がカレーライスの時、カレーに入っている牛肉だけを皿に盛って、それをアテにキリンビールを飲んでいた。(父は絶対にキリンビールと決めていた) 我が家では、カレーライスの場合でも、他に煮物やフライなど何かしらのおかずが用意されていたので、おチビの私は、「変わった人やなあ、カレーライスの肉だけ食べてはるわ」と思っていた。

しかし、大人になってから、カレー牛肉とビールセットの旨さがよくわかり、自分でカレーを作った時は、まず「とりあえずカレー肉」の一品でビールや赤ワインを楽しんでいる。

 

大切な懐かしの味

新宿中村屋が東京本郷でパンの製造販売所・中村屋を開業したのは、明治34年(1901)。明治37年(1904)には、日本初のクリームパンを発売し、評判になっている。後、新宿へ移転し、昭和2年(1927)に喫茶部(レストラン)を開設、日本で初めて純インド式カリーを売り出した。当時のカレーの値段は、他店では8~10銭だったが、中村屋のカリーは80銭だったとか。

幼い心に強烈な印象をもたらした新宿中村屋の「カリー」は、それ以来、母と私の心ブラの定番ランチとなった。もちろん2回目からは、2人お澄まし顔で口を揃えて、「カリー」と注文していた。

 

さまざまな思い出が さらに味わい深くしてくれた私の中の懐かしの味を、朝観たドラマが思い出させてくれたのである。

歳時記×食文化研究所

北野 智子

 

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この記事を書いた人

編集部
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