【歴メシを愉しむ(32)】
七草粥~今年一年の無病息災を願って

カテゴリー:食情報 投稿日:2020.01.07

お正月三が日に、祝い酒やおせち料理、お雑煮、酒肴類、鍋ものなどなどが、例年通りに粛々と美味しく胃袋に収められていったが、次のお楽しみは、春の七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を入れて炊き込む、ほこほこ美味な「七草粥」だ。

 

なぜ正月七日に七草粥を食べるのか?

正月七日は、五節句の一つで、新年最初の節句・「人日(じんじつ)の節句」。この日は七草粥を食べる日として知られているが、「人日の節句」とは聞き慣れない人も多いのではないだろうか。

昔から中国では、一月一日を「鶏の日」、二日を「狗(いぬ)の日」、三日を「猪(=豚)の日」、四日を「羊の日」、五日を「丑の日」、六日を「午(うま)の日」として、それぞれの日にはその家畜を殺さないようにしていた。七日は「人の日(人日)」とし、犯罪者への刑罰を行わないことにしていたとも、邪気を祓う日だったともいわれている。

また中国の『荊楚(けいそ)歳時記』に、「正月七日を人日となす。七種の菜をもって羹(あつもの=汁もの)をつくる」とある。

これら中国の風習に、宮中で正月十五日、米・麦・小麦・粟・黍・大豆・小豆の七種を入れた粥を食べる供御(くご)の粥の行事と、新年最初の子(ね)の日に行われてきた若菜摘みの習わしが合体して、七草粥の行事になったのだといわれている。

この若菜摘みを詠んだ有名な歌が、光孝天皇の「君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ」で、小倉百人一首にも選ばれている。

また、平安前期に宇多天皇が、初めて七種の若菜を入れた粥を神に供えて、無病息災を祈念したのが七草粥の始まりともされており、江戸時代には、正月七日に将軍が七草粥を食べる祝儀が定着し、庶民にも浸透していったという。

 

日本の薬膳ともいうべき七草粥

現代では七草粥は、専らお正月のご馳走疲れや食べ過ぎの胃に優しいものとして捉えられている感があるが、先人たちが無病息災を祈ったのには、「せりは血を止め精を養い気力が増す」「なずなは五臓を利し目を明らかにし胃を益する」ほか、昔から七草にはそれぞれ効能があるとされてきたことがある。また、青物が不足する冬に新鮮な若菜の息吹を身体に取り込みたいと願ったのだろう。

ちょうど旧暦・七十二候では、一月六日から十日が、「芹乃栄(せりすなわちさかう)」の時節で、冷たい沢の水辺で芹が群れ生えてくる頃を迎える。旬の食べものが持つ生命力をいただきたいものだ。

 

七草粥はお囃子唄を唱えながら楽しんで作ろう

民間に伝承されている七草粥作りのしきたりに「七草囃子」がある。囃子唄の歌詞は地方によって異なるが、まず今年の恵方(西南西)を向いて、「七草なずな唐土(とうど)の鳥が日本の土地に渡らぬ先に、ストトントントン…」などという七草囃子を唱えながら、まな板の上の七草を叩き刻むのだ。

これは、作物の害になる鳥を追い払って豊作を祈る『鳥追いの唄』が、七草粥の行事と結びついたものらしい。この「唐土の鳥」とは、前出の『荊楚歳時記』によると、正月七日の夜は鬼車鳥(きしゃちょう)が多く渡るので、家々では床や戸を打って追い払ったそうな。名前からして怖い鬼車鳥は、頭が九つもあり子どもをさらうとも、毒を持った鳥なので疫病を蔓延させるともいわれており、なんという恐ろしい妖鳥だろう! 首が三本ある怪獣キングギドラも負けそうではないか!

 

話が逸れたが、この七草囃子、節回しが不明なのが残念ではあるが、邪気祓いと無病息災の願いを込めつつ、皆さんもぜひ自分なりに調子をつけて唱えながら、今年の七草粥作りをされてはいかが。

歳時記×食文化研究所

北野智子

 

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編集部
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